書評

『礼讃』(KADOKAWA/角川書店)

  • 2020/02/08
礼讃 / 木嶋 佳苗
礼讃
  • 著者:木嶋 佳苗
  • 出版社:KADOKAWA/角川書店
  • 装丁:単行本(469ページ)
  • 発売日:2015-02-28
  • ISBN-10:4041024331
  • ISBN-13:978-4041024331
内容紹介:
早すぎる初潮、母との確執、最愛の人との出会いと初めて犯した罪…婚活連続殺人事件(首都圏連続不審死事件)の被告人が拘置所で書いた衝撃の自伝的小説!

理想と虚構で埋めつくされた、世にも不気味な自伝本

木嶋佳苗のことを、佐野眞一は「この事件はこれまでのどんな事件とも異質である。そして木嶋はこれまでのどんな犯罪者と比べても異質である。譬えて言うなら犯罪者のレベルが違うのである」と書いた。正直言って、木嶋佳苗の犯罪自体はそんな大げさなものではない。結婚の約束で男を釣って相手を殺す殺人者は過去にもいくらでもいた。女性殺人者の一典型として「ブラック・ウィドウ(黒後家蜘蛛)」という呼び名があるほどだ。19世紀にすでに13人を殺して埋めたベル・ガネスという大物がいる。いかにも佐野眞一らしい、中身のない大言壮語というべきだ。だが、今この本を読むと、あるいは佐野眞一は自分でも気づかないままに真実を射貫いていたのかもしれない、と思わずにはいられない。木嶋佳苗自身はともかく、この本は唯一無二の存在である。犯罪者の自伝はいろいろ読んできたけれど、これほど不気味な本はちょっと記憶にない。

木嶋佳苗はもちろん「婚活連続殺人事件」の被告である。木嶋は婚活サイトあたりで知り合った男性に授業料などの名目で金を振りこませた。そののちに男性はなぜか一酸化炭素中毒で死亡してしまう。警察は木嶋が3人の死に関与しているとして起訴した。木嶋佳苗は拘置所内で手記を書き、『朝日新聞』に発表した。さらに有料ブログに自分の半生をつづり、自伝として発表したのである。

物語は6歳のとき、父親の友人を家に迎えるところからはじまる。北海道の田舎町で、教養あふれる父の元ですくすくと育った「花菜」は、父の友人の娘との出会いではじめて東京の洗練を見出す。小学校3年生、8歳のときに花菜は初潮を迎える。筆者は同級生のなかでは誰よりも早く「大人になった」ことを誇らしげに語る。5年生、10歳になった花菜は祖父と社台農場へ行き、サラブレッドの種付けを見学する。さらに「ヤマザト会」のキャンプに出かけ、牛の交尾を見学する。「ヤマザト会」では友人が好きになった年上のハンサム「雅也くん」はなぜか花菜のほうに興味を示す。やがて高校2年のとき、夏休みに札幌の予備校で夏季講習を受けていたとき、年上のダンディな男性に声をかけられる。「周囲の人を幸せにする魅力がある」「徹さん」こそ、花菜の初体験の相手となる。「徹さん」は「花菜ちゃんのヴァギナは本当に気持ちがいいよ」「これじゃ若い男は受け止めきれないよ」と評するのだった。

一読してわかるように、これは完全なフィクションである。たとえば小学5年生のとき、花菜はパソコン通信の世界に飛び込む。

……緊張するという感覚を忘れていた私だったが、モニターの前で身震いした。ドヴォルザークの『新世界より』をバックに、父が静かに打つキーボードの音と二人の呼吸が木霊するように響く書斎。私は父と共にエンターキーを押してネットの世界に飛び込んだ。モニターに表示されたアルファベットと数字が目を射た。

Login:****** wed may 1 19:07:14 Welcome! This is ASCII-NETWORK.

「繋がった」

二人の声が重なった。そして、なぜか父と握手した。きっとお互い興奮していたからなのだろう。

……

私は、もっぱら遠くに住む知らない人との会話を楽しんでいた。掲示板とチャットの利用だけで、あっという間に数時間が経過し、月の電話代が十五万円を超えることもよくあった。アスキーからも一分ごとに課金されるため、毎月とんでもない金額を支払っていた経験を持つ人は、パソコン通信の黎明期には多いはずだ。

たしかに多いだろう。だが小学5年生の経験ではないはずだ! 万事がこの調子で、佳苗の経験はすべてが流麗に、だが流麗すぎてとうてい現実ではありえないようなディテールで語られる。すべてがカタログからの引き写しであり、現実の経験からはるかに遠い。料理やブランドの名前だけで綴られる過去。『アメリカン・サイコ』のような、『なんとなく、クリスタル』のような世界。そこに佳苗の現実は何ひとつない。つまりこの本のすべては佳苗にとっての理想像、他人から見られたいと思っている姿なのである。しかし、他人の目をそれほどまでに意識している人間が、サラブレッドの種付けを見るときに、普段は洗練され非の打ちどころのない祖父が見せる下卑た表情についてわざわざ書くだろうか? ともかくセックスにかんしては必要以上になまなましく、下品に書かれる。ポルノ小説よりもはるかに露骨で無味乾燥なセックス描写にはサービス精神のかけらもないのが興味深い。

彼女は「ふくよか」で(決して美人だと主張しないところがおもしろい)、名器の持ち主であり、するとお金持ちの「おじさま」が美味しいものを食べさせて援助してくれる。佳苗は佳苗であるがゆえに貢ぐ男が尽きないのだ。つまり彼女は一種の高級娼婦(クルティザンヌ)である。たぶん佳苗のなかでは、自身は叶姉妹のような存在として認識されているに違いあるまい。佳苗は9歳のときに漱石を読み、将来は高等遊民になりたいと思いさだめたという。もちろんこれはフィクションであり、つまり彼女は高級娼婦である現在に向けて、過去を逆に組み立てていると考えるべきなのだろう。組み上げられた過去のモザイクの中に佳苗の内面は存在しない。それはきわめて文学的な営為なのだといえようか。
礼讃 / 木嶋 佳苗
礼讃
  • 著者:木嶋 佳苗
  • 出版社:KADOKAWA/角川書店
  • 装丁:単行本(469ページ)
  • 発売日:2015-02-28
  • ISBN-10:4041024331
  • ISBN-13:978-4041024331
内容紹介:
早すぎる初潮、母との確執、最愛の人との出会いと初めて犯した罪…婚活連続殺人事件(首都圏連続不審死事件)の被告人が拘置所で書いた衝撃の自伝的小説!

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映画秘宝 2015年5月号

95年に町山智浩が創刊。娯楽映画に的を絞ったマニア向け映画雑誌。「柳下毅一郎の新刊レビュー」連載中。洋泉社より1,000円+税にて毎月21日発売。Twitter:@eigahiho

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