書評
『シネマ2*時間イメージ』(法政大学出版局)
CINEMA 2 L’IMAGE-TEMPS 映画手法の転換、作り手の苦闘の物語
第二次大戦後、イタリアでネオレアリズモという映画運動が起こる。ロッセリーニを先頭に、現実の荒々しい感覚を伝える映画が作られる。そして一九六〇年前後、フランスでヌーヴェル・ヴァーグが巻きおこる。ゴダールらが映画作りの文法を変えた。
ドゥルーズは、この二つの出来事とともに、映画は古典時代から現代に入ったと主張する。映画の古典時代と現代を分かつものは何か。それは〈運動イメージ〉から〈時間イメージ〉への転換である。
映画の最小単位であるショットは物や人の動きを映しだす。これが〈運動イメージ〉である。運動は、時間という変化する全体のなかで存在するが、映画で時間を表現するためには、ショットを組みあわせて編集し、間接的に再現するほかない。東京駅で電車に乗る人のショットに、同じ人が大阪駅で降りるショットをつなげば、そのあいだの時間の経過が表現できる。この映画の約束事を支えているのは、感覚運動的な連続性だ。
ところが、ネオレアリズモとヌーヴェル・ヴァーグは、この感覚運動的な連続性を破壊し、運動イメージのスムーズな連鎖による時間の間接的再現を退けた。代わって現れたのが、一つのショットのなかで直接的に時間を露(あらわ)にする〈時間イメージ〉である。
主人公が秩序ある空間のなかで目的に向かって行動する〈運動イメージ〉に対して、人間が無秩序のなかで彷徨(ほうこう)する〈時間イメージ〉が映画の最前線を占めるようになる。
現代的な事態とは、われわれがもはやこの世界を信じていないということだ。……引き裂かれるのは、人間と世界の絆(きずな)である。
ことは単なる映画の手法の変化ではなく、世界の不可逆的な変化であり、それを感知した映画の天才たちがこの恐るべき事態にどう対処したかという戦いの物語である(その苦闘のなかでドゥルーズも自ら命を絶った)。映画を論じることが、即、人間精神と世界の深みを潜(くぐ)りぬけることに通じる稀有の書物であり、約20年前に書かれたが、世界が混迷を深めるいま、現代的な意義はかえって増している。
朝日新聞 2007年1月7日
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