解説

『明治バンカラ快人伝』(筑摩書房)

  • 2024/02/03
明治バンカラ快人伝 / 横田 順弥
明治バンカラ快人伝
  • 著者:横田 順弥
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:文庫(322ページ)
  • 発売日:1996-02-01
  • ISBN-10:4480031502
  • ISBN-13:978-4480031501
内容紹介:
自転車世界無銭旅行者中村春吉、世界柔道武者修行者前田光世(グレイシー柔術元祖)、虎髯弥次将軍吉岡信敬…日清、日露、第一次世界大戦と、日本が近代国家になるための試練をくぐり抜けなければならなかった激動の時代を、そのバンカラ精神で痛快に生き抜いた明治の“快人”たち。「明治快人列伝」を増補した決定版。

バンカラとはつづめていえばバカなのか?

いやはや、滅茶苦茶おもしろい。

なんて書いたって何になろうか。横田順彌『明治バンカラ快人伝』(ちくま文庫)に解説は不要である。読めば分かる。

同じ著者の『探書記』(本の雑誌社)を読んで一晩、笑いころげた、あれは三年前の冬の夜。

古典SF研究、押川春浪研究あたりでやめときゃよかったのに、その押川が野球界の発展に力を注いだことや、押川の弟清が早大野球部の第三代主将で、日本最初のアメリカ遠征チームのメンバーだったことから、明治の早慶戦に興味をもちだしてしまい、なんで、ぼくみたいな貧乏SF作家が、こんなに古本を買い、頭を混乱させなきゃいけないの、と曳かれ者の小唄をボヤくように見えて、その実、芋づる式古書発見の楽しみを語った、それは実に名著であった。

横田順彌の文章にはいくつかの特徴がある。一文が結構長くて、その中で一人の人物について多彩な角度から紹介してしまうこと。まるで衒学的でないこと。文章に主観を入れず、断定できないことは「ようだ」「そうだ」「という」「かもしれない」と明らかにすること。「わかった」というよろこびが文に溢れていること。行間にふしぎなユーモアが漂っていること。なんと、気持ちのよい文章ではないかと横田式に書いてみた。

さて『探書記』の一節に「究極の偉人シリーズ」という項がある。昭和十年代に大日本雄弁会講談社が出した〈偉人伝文庫〉は以下のラインナップである。

「乃木希典」(山中峯太郎)

「二宮尊徳」(池田宣政)

「勝海舟」(和田政雄)

「源義経」(太田黒克彦)

「大村益次郎」(和田政雄)

「中江藤樹」(大倉桃郎)

「西郷隆盛」(富田常雄)

「伊藤博文」(沢田謙)

「江川太郎左衛門」(太田黒克彦)

「牛島謹爾」(池田宣政)

全十冊。もうおわかりでしょう。横田さんが興味を持つのは「牛島謹爾」である。

「昭和十六年には、十人の偉人のひとりに入れられていながら、現在は、まったく忘れ去られている牛島謹爾とは、いったい、なにをした人なのか?」

わからないから知りたい、というのが横田流単純明快さである。牛島は明治三十八年、早稲田大学野球部がはじめて遠征したとき、向うで選手たちを大歓迎してくれた人である。久留米生れで、アメリカに渡り、土地を開墾して、ジャガイモの栽培に成功した人らしい。折からの日本人排斥運動と戦いながらポテト王として大成功し、初代の在米日本人会長に就任した。少しずつ像が結ばれていく。この醍醐味は経験した者でなければわからない。

よく知られている人物ばかり、それも伊藤博文や北里柴三郎の女好き、なんて問題点はすべてカットした伝記なんてつまらないじゃないか。

ぼくに企画を立てさせてみなさい、と横田さんはラインナップを示す。

「押川春浪伝」(日本SF・冒険小説の祖)

「中村春吉伝」(世界自転車無銭旅行者)

「中村直吉伝」(世界無銭徒歩旅行者)

「野沢如洋伝」(豪傑画人)

「河野安通志伝」(明治時代の鉄腕投手)

「中山忠直伝」(漢方医学の先駆者)

「前田光世伝」(世界柔道武者修行者)

「武石浩玻伝」(民間航空の先駆者)

「吉岡信敬伝」(早稲田大学応援団長)

「風船お玉伝」(世界を股にかけた娼婦)

うーん、くやしいが、このとき私は十人中押川春浪と風船お玉の名しか知らなかったのであった。しかしこの十人については絶対読んでみたい……。

単行本の『明治バンカラ快人伝』は、この十人のうち二と七と九番目の人物を扱っている。

すなわち明治五年広島生れ、カタカナしか書けないが五カ国語を話し、下関で〔馬関忍耐青年外国語研究会〕なる意図のはっきりしない会を設立し、明治三十五年二月、ランブラー式の自転車を船に積み込んで世界自転車無銭旅行に旅立った中村春吉。

お次は明治十一年青森生れ、早稲田中学時代に柔道と出会い、講道館に入門し明治三十七年渡米して、レスラー、ブッチャーボーイに公開試合で勝って名声を博したのを皮切りに、レスリング道場破りで世界を股にかけ、さいごは南米ブラジルに帰化しアマゾン開発に賭けた前田光世。

しんがりは明治十八年、東京あるいは萩生れ、早稲田中学野球部に在籍するも伎倆に見るべきものなく、応援団に転向して早大野球部の名物虎髯弥次将軍として、日露戦争の立役者乃木将軍、誇大妄想狂の名物男芦原将軍と共に三代将軍の勇名を馳せ、人生のすべてがこれエピソードという吉岡信敬。

その華麗なるエピソードは本文中で語られているから略すが、そも「バンカラ」とは何か。著者はいう。

「いうまでもなく、バンカラはハイカラに対して生まれたことばで、西洋的な考えや行動を否定する蛮勇気質に富んだ性格や行動をいうものだ。それは、必ずしも武士道精神や愛国精神と一致するものではないが、革新か保守かといえば、やはり保守ということになる」

この語のもととなったハイカラは high-collar のこと。「名詮自称、高襟を附け、もみ上げを剃り、コスメチックを塗り、香水をハンケチに勾わせて、気取って、生意気で、ちょっと気障なところのある人がそれで、それは形の上からいったのだが、精神の上では西洋的で、進取的で、才子的の意味も籠っているようだ」(大町桂月、「文芸倶楽部」明治三十七年)

「ハイカラ」の語が現われ一躍、流行語になるのが明治三十二年ころ、これに対し「蛮カラ」が三十五年くらいに出来たらしい。

ハイカラ党の多くは明治政府の派遣で洋行した人を中心に、文明開化、殖産興業、富国強兵、官尊民卑を主導し、自らは「末は博士か大臣か」の立身出世(なんて四字熟語が多いのだろう)を目ざして生きた。

この対極にはじつはバンカラでなく、圧倒的多数の無学、貧乏な大衆がおり、凶作のたびに娘を売ったり、間引きをしたり、あるいは海山から狩り出されてハイカラ族の指揮のもと、都市で日本資本主義の底辺を担わされたりしていた。その都市には江戸趣味にうつつを抜かす素町人もいれば、市井にまぎれて面白くなき世を過ごす旧幕臣もいた。

その間をバンカラ快男児たちは徒手空拳で駆け抜けてゆく。たしかに本書に取り上げられた三人にも国粋的、壮士的なところが見られる。

自転車無銭旅行の中村春吉は、インドのミルザポールで日本人娼婦にあい、「なんだ、貴様らは。日本で恥をかきたらずに、こんなところまできて、恥をさらすのか」と大声で怒鳴りつけ、ツバをはきかけ娼館主を「日本の国辱」とポカポカなぐっている。明治四十三年、白瀬中尉の南極探検後援会発会式で、中村は「南へ南へ」という演説をぶった。

柔道武者修行の前田光世は温厚な性格だったといわれるが、昭和十五年、アマゾン進出について、

「それも小生は柔道の方から考えても自己民族の発展という事を勝負の理論に基づき凡ての上に必勝を期して進まなければならぬと信ずる。……此の信念を以て進む時は、数十年後には、我が民族は、此の地に大発展を遂ぐる事が出来ると信ずるのである」

と薄田斬雲にあてた手紙に書いている。

吉岡信敬は中学生時代、すでに校内で日露戦争非戦論派とやりあい、開戦後、日本の勝利を告げる号外売りの声が聞こえると教室を飛び出した。のちに読売新聞記者としては「永らく平凡な日本に尊い時間を潰していた我輩大いに脾肉の嘆に耐えんかった」と革命期のロシアに渡る。三人とも海外雄飛の夢を持っていた点で「狭い日本にゃ住み飽いた」の満州浪人と似た気質を持っていた。

しかし、これをすぐに日本の帝国主義的侵略や南進論の系譜に位置づけてしまうのは、早計だ。森を見て、一本の木の面白さを見ないことになろう。彼らがバンカラを発揮したのは日清、日露、第一次大戦の戦間期であり、横田流にいうと「そんな時代背景を考えれば、独立国家としての危機にある発展途上の日本に、なんらかの形で役に立ちたいと思いながら、その持って産まれたバンカラ気質が災いし、結局、突飛な行動としてしか、自分自身を表現できなかった若者」なのである。

真骨頂はむしろ中村春吉が高野豆腐に石油を浸した手製爆裂弾をふりまわして狼をやっつけ、前田光世がスペイン、キューバ、メキシコ、コスタリカ、パナマ、ペルー、チリと転戦しながら並いる敵を投げとばし、吉岡将軍が馬にまたがり剣を抜いて慶応グラウンドに乗り込む、と発言して早慶戦が中止になってしまうバンカラぶりにある。

私など、学校の歴史教育と社会主義のお勉強のせいで、この時期をつい中江兆民、幸徳秋水、堺利彦、大杉栄……という流れで見るクセがついており、それはそれで面白い。だが、横田流バンカラ列伝はまた別の明治を多彩に見せてくれる。今回、文庫化に当っては隠し玉のバンカラ快人列伝も新しくおさめられた。

バンカラといえば男のものか、と思ったら、記者やミルクホールの女給を転々として、ついに南方で念願の娼婦となった女性、本荘幽蘭も出てきた。

また彫刻家朝倉文夫はわが町谷中の人であるが、文展審査員、帝国芸術院会員、美術学校教授として斯界に君臨したこの人が、軍事探偵としてボルネオに赴いたとは驚天した。さっそく谷中の朝倉彫塑館に飛んでいくと、たしかに明治四十四年二月、南洋北ボルネオその他を「視察」し、その年の第五回文展に「土人の顔」を出品、三等入選、文部省買上げとなっている。また南洋から陶器、ジャワ更紗、銅器なども持ち帰ったようで、その銅器は陳列されていた。本棚を見ると「日本民族論」「日鮮同祖論」「ビルマ民族誌」「印度五千年史」「南国史話」などが並び、どうも彼もバンカラ傾向の人だったようである。

横田さんの本の功徳は、読んでいる最中は痛快無比だが、読み終るとあまりに多くの無名の人名、地名、エピソードがちりばめられているので、全部を思い出せず、容易にうちの狭い本棚から追い出せない(?)点である。再読、三読して損はない。も一つはすべてオリジナルな資料発掘に基づいているので、真似しようったって真似できない。もし無断借用する人があれば、すぐ横田マークの典拠がバレることだろう。

気障で保身的な才子、すなわちハイカラ族の末裔はいまも世にウヨウヨしているが、私はバンカラの男の方が好きだ。バンカラはバカに通じ、バカにしか人生は楽しめないものである。

命みじかし。男たちよ、バンカラたれ。

その方がモテますぞ。
明治バンカラ快人伝 / 横田 順弥
明治バンカラ快人伝
  • 著者:横田 順弥
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:文庫(322ページ)
  • 発売日:1996-02-01
  • ISBN-10:4480031502
  • ISBN-13:978-4480031501
内容紹介:
自転車世界無銭旅行者中村春吉、世界柔道武者修行者前田光世(グレイシー柔術元祖)、虎髯弥次将軍吉岡信敬…日清、日露、第一次世界大戦と、日本が近代国家になるための試練をくぐり抜けなければならなかった激動の時代を、そのバンカラ精神で痛快に生き抜いた明治の“快人”たち。「明治快人列伝」を増補した決定版。

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