書評
『入門フリーメイスン全史―偏見と真実』(アムアソシエイツ)
石工の団体が「異端」とされるまで
フリーメイスンというと「陰謀」という言葉がかえってくるくらい、陰謀史観はフリーメイスンが好きだが、「そのあまりの荒唐無稽さに不快感」を感じた著者はフリーメイスンの正確な歴史を執筆する決意を固める。それもそのはず、著者こそは日本におけるフリーメイスンの総本山「日本グランド・ロッジ」のパスト・グランド・マスターだからである。友愛団体フリーメイスンの起源はその名のごとく中世ヨーロッパの石工(メイスン)団体に溯(さかのぼ)る。石工たちはキリスト教建築がロマネスクからゴシックに変わったとき、建築知識の伝授の必要から団体化せざるをえなかったが、ゴシックが大陸からイギリスに伝わると、フランス人の石工団体(フラン・マソン)はドーバー海峡を渡って英語で「フリーメイスン」と呼ばれるようになった。彼らは組合施設を「ロッジ」と称し、伝説と訓戒を手書きした「古代訓戒写本」を有していた。ただし、中世までは、フリーメイスンは建築実務団体で、大陸でも同じだった。
ところが、不思議なことに、イギリスだけは、十七世紀頃から建築実務団体が一般人の友愛団体、つまり「象徴メイスンリー」へと変容していった。とくにイングランドとアイルランドでは一般人だけの「聖ヨハネ・ロッジ」が出現し、これが「古代訓戒写本」の道標や慣行を受け継ぎ、友愛団体フリーメイスンの基礎を築いたのである。
十八世紀に入ると組織化が始まり、ロッジを統合した上部団体としてグランド・ロッジが創立された。この組織化に寄与したのが「フリーメイスン史の父」と呼ばれたアンダースン博士で、一般規定、発祥起源、訓戒を含む「一七二三年憲章」を制定した。博士はキリスト教でいえばパウロに相当するわけだが、ある意味、パウロと同じ誤りを犯した。発祥起源と初期の歴史を極端に空想的な物語としてしまった点である。博士は旧約聖書の伝説的人物や古代史の有名人を次々グランド・マスターとし、著名建築物の建造者にしたのである。その結果、フリーメイスンは古代ユダヤ民族と交差され、ユダヤ陰謀説と混同されることになる。
もう一つ、アンダースン博士は宗教は「各個人の判断にゆだねられるべき事柄である」という汎宗教性、汎宗派性の立場を取ったが、これが後々、キリスト教世界からは異端として迫害され、共和主義革命の源流と目される遠因になるのである。
フリーメイスンはフランスに伝播(でんぱ)すると、貴族や知識人・芸術家の支持を受け、モーツァルト、カサノヴァを始めとする芸術家や文人の加入で組織を拡大したが、その際、基本の三階級に加えて「多階位」と呼ばれるフランス式のヒエラルキーができあがった。以後、フリーメイスンはキリスト教と同じように分裂と統合を繰り返し、複線型組織となって今日に至っているが、著者の指摘で興味深いのは、幕末にフリーメイスンが日本に入ったとき(最初の日本人会員は西周と津田真道)、明治政府との紳士協定で、集会の自由を認めてもらう代わりに、日本社会への接触や宣伝を自ら禁じたという点である。これがかえって、日本人の間に妄想を膨らませることとなった。
日本におけるフリーメイスンの最高責任者が、反省を込めつつ書きあげた真正(オーセンティック)なフリーメイスン史。ベンジャミン・フランクリンから始まってトルーマン、それにマッカーサーも会員だったフリーメイスンを知るための最良のガイドブック。
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