書評
『天皇たちの和歌』(KADOKAWA/角川学芸出版)
国家から恋まで、王権を広く探る
歴代の天皇の和歌を読んでゆけば、そこから天皇の肉声が聞こえてくる、という発想から天皇の和歌をとりあげて探ったのが本書である。こうした場合、神武天皇から今上天皇までの歴代の天皇の和歌をとりあげ、一つ一つについてその特徴を探るという方法をとるのが普通であろうが、本書はそうした方法はとらない。
和歌を、五つに分類してその性格を捉(とら)えてゆく。第一章の「天皇と国家」から、「天皇と制度」「天皇と自然」「民を愛する天皇」「恋する天皇」の第五章まで。
天地も動かすばかり言の葉のまことの道をきはめてしがな
この明治天皇の和歌を引いて、和歌における言葉の力の意味を確かめることに始まって、まずは天皇が国家のなかでどう位置づけられていたのかを、天皇の詠んだ和歌や天皇の行為を詠んだ歌などから探る。
続く第二章では、狩猟や行幸、年中行事などの天皇の国事行為に関(かか)わる歌をとりあげる。
妹(いも)に恋ひわかの松原見わたせば潮干の潟にたづ鳴きわたる
これは聖武天皇が伊勢国に行幸した際に詠んだ歌であるが、これについては「しみじみとした旅愁に満ちた名歌」として評価するとともに、藤原広嗣の乱の直後という背景の事情を踏まえ、国家的危機が落着した安堵(あんど)の心情をそこから汲(く)み取っている。
行幸には様々な意味合いがあり、特にこの時の行幸は、これを最後にながらく天皇が伊勢に赴かなくなるだけに重要な意義をもつが、著者はこれに次の和歌を対比させて論を展開する。
紀伊(き)の国の潮のみさきにたちよりて沖にたなびく雲を見るかな
昭和天皇が二・二六事件の起きる一月前に詠んだ歌である。これと先の聖武天皇の二つは、「風景を眺望しつつ祈る」という、日本の王者の理想的な姿を具現化している、と著者は高く評価する。
こうして天皇の和歌の解釈を行ないつつ、そこから浮かび上がる天皇の行為を探ってゆくのだが、ただこの昭和天皇の歌を見ると、「たなびく雲」から暗雲を読みとるのは、やや無理があるのでは、と私には思えてならない。
それはともかく、このようにして天皇にまつわる和歌をとりあげ、そこからうかがえる天皇のあり方を広く探っている。様々な局面で詠まれた和歌を通じて、天皇の存在と位置を明らかにしようとしたもので、和歌を通じた天皇入門という趣があり、肩肘(かたひじ)張らずに楽しく読める本となっている。
したがって天皇論への鋭い切り込みをあまり期待しないほうがよい。そもそも著者は「天皇自身のことば自体はさほど問題にされてこなかったように思う」ということから、天皇の詠んだ和歌を考えたとするが、これはやや誤解を招こう。実は天皇は雄弁であった。
著者もあげている後鳥羽天皇や順徳天皇、はたまた後醍醐天皇などは自らの主張を述べており、近代になっても天皇の「お言葉」は政治的な意味をもっている。
和歌から探ることには明らかに限界はあるのだが、しかしそれにもかかわらず和歌から天皇を探る試みが有効であることを本書は示している。「天皇と自然」「民を愛する天皇」「恋する天皇」などで取り上げられた和歌の数々は、日本の王権のあり方をよく伝えるものとなっている。
最後に後鳥羽天皇の一首。
ちはやぶる日吉(ひよし)の影ものどかにて波をさまれる四方(よも)の海かな