書評

『ジョルダーノ・ブルーノとヘルメス教の伝統』(工作舎)

  • 2017/08/16
ジョルダーノ・ブルーノとヘルメス教の伝統 / フランセス・イエイツ
ジョルダーノ・ブルーノとヘルメス教の伝統
  • 著者:フランセス・イエイツ
  • 翻訳:前野佳彦
  • 出版社:工作舎
  • 装丁:単行本(877ページ)
  • 発売日:2010-05-18
  • ISBN:4875024290
内容紹介:
ジョルダーノ・ブルーノによって集大成されたルネサンスの魔術的世界観が、ヘルメス教の復興/復古運動に基盤を置くものであったことを豊富な文献渉猟と確かなマクロ記述により立証した研究。『記憶術』と並ぶイエイツの代表作。
フランセス・イエイツといえば、すでに『記憶術』『世界劇場』『薔薇十字の覚醒』『魔術的ルネサンス』などの邦訳を通して、その〈魔術〉を中核に据えたルネサンス研究によって比類のない歴史家としての相貌をわが国にも刻印しているが、本書はこれらの著作以前に書かれ、これらの研究の基点とも豊穣な母胎ともなった驚くべき大著である。

初版刊行は一九六四年。女史六十五歳の折である。ということは、今挙げた著作群は、すべて六十歳代後半から八十歳くらいまでの間に書かれたわけで、それだけでも女史の研究者としての経歴の特異性を示唆しているといわなければならないが、いずれにせよそうした息の長さ、持続力、衰えぬ力強さは、わが国ではまず例を見ないものだ。

本書は、ジョルダーノ・ブルーノをヘルメティズムの伝統の中に置くことを目的とする。ブルーノといえば、コペルニクスの地動説を否認するよりは死を選んだ科学的確信の英雄、近代科学の殉教者であり、中世的アリストテレス主義の束縛を破って近代世界の到来を告知した先駆者である、といった広く流布したイメージがある。本書は、そうした通俗的なブルーノ像を破壊し、彼が「エジプト」とヘルメティズム的理想に心を奪われていた正真正銘の魔術師であることを、おびただしい資料の読解によって明らかにしようとする。

ヘルメティズムとは、ヘルメス・トリスメギストス(三倍も偉大なヘルメス)の名で呼ばれるエジプト人神官に帰せられた一連のギリシア語文献にもとづく一つの宗教的哲学ないし哲学的宗教のことである。十五世紀後半、マケドニアからフィレンツェにもたらされ、マルシリオ・フィチーノによってラテン語訳されたギリシア語写本こそが、ルネサンス・ヘルメティズムの淵源だが、これはプラトンより以前、キリストより遥か以前に最古のエジプト的叡知の啓示として記録されたと仮定された。実際には無名の複数の作者によって書かれたものであり、その成立の時期にもばらつきのある、つぎはぎの集成なのだが、しかしその宗教的経験の記録としての性格が〈ヘルメス文書〉の統一性を与えている。

著者は、フィチーノの自然魔術、ピコ・デッラ・ミランドラのカバラ的魔術、コルネリウス・アグリッパの通俗的魔術概説書『オカルト哲学について』を順次概観し、ブルーノがそうした魔術的文脈のなかに登場しながらも、ヘルメティズムがキリスト教を予見しかつそれを包摂するといった解釈からきっぱりと袂を分かち、より暗くより中世的な降霊術の方向へと遡行する完全な「エジプト主義」を標榜する次第を述べる。

たとえば、フィチーノによればエジプトの十字架はキリスト教の予兆を意味していたが、ブルーノにとってのキリスト教徒は、エジプトの真の十字架を盗み汚した張本人にほかならないのである。コペルニクス理論の肯定においても、その「単に数学的」な論証を遥かに越えて、そこに字宙の生動という魔術的哲学の証左を見、さらにコペルニクス主義の教説には含まれていない宇宙の無限性の観念をそれに結びつける。無限の宇宙を魔術的な生気に充ち満ちた無数の世界で満たすのである。〈万有〉と〈一者〉の等置こそが、ヘルメティズムの基本的な教理にほかならない。

フランス、イギリス、ドイツ、チェコと渡り歩きながら、ラテン的人文主義者、「文法屋の衒学者ども」と論争し、魔術的生命的字宙観を説き続けたブルーノも、ついに一五九二年にヴェネツィアで投獄され、そして一六〇〇年にローマのカンポ・デ・フィオーリ広場で生きながら火刑に処せられた。

私事にわたって恐縮だが、かつて研究休暇でローマに一年間滞在していた折、私はしばしばカンポ・デ・フィオーリで食事したものだが、その名のとおり花や野菜や果物を売る出店でいっぱいの広場の真ん中に、フードを目深にかぶった陰惨なといってもいい印象を与えるブルーノの黒い銅像が立っているのを目のあたりにして、いつもながらその違和感に驚かされたものだった。稀代の〈魔術師〉には、しかしこの異様に暗い銅像がふさわしいのかもしれない。

一六一四年にイザーク・カゾボンによって、ヘルメス文献がキリスト生誕後の時代に書かれたものであるという決定的な年代固定がなされた。キリスト教徒ないし半ばはキリスト教徒であった者のつぎはぎのでっちあげであるというのである。これによってルネサンス・ヘルメティズムは弔鐘を鳴らされたわけだが、にもかかわらずなおヘルメティズム的な姿勢を保ち続けた典型例として、著書はロバート・フラッド、薔薇十字団、アタナシウス・キルヒャーの三者を挙げている。これらがあらためて著者のその後の研究テーマとなるであろうことは周知のとおりである。

イエイツ女史のまぎれもない代表作の訳出を喜びたい。八百数十頁に及ぶ邦訳を完成させた訳者の努力も並大抵のものではなかったろう。最後に付された訳者の長い「解説」も、女史とワールブルクの図像学の関係を俎上にのせて読みごたえがある。そういえば、女史は本書以前に、すでに邦訳もある『ヴァロワ・タピスリーの謎』を書いていたのだった。

【この書評が収録されている書籍】
書物のエロティックス / 谷川 渥
書物のエロティックス
  • 著者:谷川 渥
  • 出版社:右文書院
  • 装丁:ペーパーバック(318ページ)
  • 発売日:2014-04-00
  • ISBN:4842107588
内容紹介:
1 エロスとタナトス
2 実存・狂気・肉体
3 マニエリスム・バロック問題
4 澁澤龍彦・種村季弘の宇宙
5 ダダ・シュルレアリスム
6 終わりをめぐる断章

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ジョルダーノ・ブルーノとヘルメス教の伝統 / フランセス・イエイツ
ジョルダーノ・ブルーノとヘルメス教の伝統
  • 著者:フランセス・イエイツ
  • 翻訳:前野佳彦
  • 出版社:工作舎
  • 装丁:単行本(877ページ)
  • 発売日:2010-05-18
  • ISBN:4875024290
内容紹介:
ジョルダーノ・ブルーノによって集大成されたルネサンスの魔術的世界観が、ヘルメス教の復興/復古運動に基盤を置くものであったことを豊富な文献渉猟と確かなマクロ記述により立証した研究。『記憶術』と並ぶイエイツの代表作。

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初出メディア

図書新聞

図書新聞 2010年9月11日

週刊書評紙・図書新聞の創刊は1949年(昭和24年)。一貫して知のトレンドを練り続け、アヴァンギャルド・シーンを完全パック。「硬派書評紙(ゴリゴリ・レビュー)である。」をモットーに、人文社会科学系をはじめ、アート、エンターテインメントやサブカルチャーの情報も満載にお届けしております。2017年6月1日から発行元が武久出版株式会社となりました。

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