書評
『ハンセン病家族訴訟 裁きへの社会学的関与』(世織書房)
二○年にわたって何百人ものハンセン病患者や家族の聞き取り調査を続けてきた著者両名による記録。二○一六年に熊本地裁で始まった家族訴訟も支援し伴走している。公判のたび熊本に飛んで傍聴し原告団と交流。誰もやらないのなら自分らがやるという覚悟と尽力が潔い。
著者らの役割は患者や家族の思いに言葉を与えること。法律の書類は弁護士が整える。社会学者は法廷で証言したり意見をのべたりする。家族は経歴を隠し患者の存在すら隠して身を守った。病気は家庭で話題にできず聞き取りで初めて口を開いたケースも。患者や家族の苦しみの源は社会に行き渡る差別だ。福岡氏はそれを≪集合的意識としての偏見≫とよぶ。個人の内面の問題でなく、「正しい知識」でもなくせない。
ハンセン病は伝染力が弱く隔離も不要と二○世紀半ばに判った。でも日本のらい予防法の廃止は一九九六年。患者は強制的に施設に収容されて人権を奪われ、家族は差別にさらされ続けた。裁判はその国の責任を問う。個人の人権はなぜこうも簡単に踏みにじられたのか。忘れてはならない社会の暗部を、ありありと見つめるところからすべてが始まる。
著者らの役割は患者や家族の思いに言葉を与えること。法律の書類は弁護士が整える。社会学者は法廷で証言したり意見をのべたりする。家族は経歴を隠し患者の存在すら隠して身を守った。病気は家庭で話題にできず聞き取りで初めて口を開いたケースも。患者や家族の苦しみの源は社会に行き渡る差別だ。福岡氏はそれを≪集合的意識としての偏見≫とよぶ。個人の内面の問題でなく、「正しい知識」でもなくせない。
ハンセン病は伝染力が弱く隔離も不要と二○世紀半ばに判った。でも日本のらい予防法の廃止は一九九六年。患者は強制的に施設に収容されて人権を奪われ、家族は差別にさらされ続けた。裁判はその国の責任を問う。個人の人権はなぜこうも簡単に踏みにじられたのか。忘れてはならない社会の暗部を、ありありと見つめるところからすべてが始まる。
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