書評

『覚醒せよ、セイレーン』(左右社)

  • 2023/11/10
覚醒せよ、セイレーン / ニナ・マグロクリン
覚醒せよ、セイレーン
  • 著者:ニナ・マグロクリン
  • 翻訳:小澤 身和子
  • 出版社:左右社
  • 装丁:単行本(ソフトカバー)(368ページ)
  • 発売日:2023-06-05
  • ISBN-10:4865283676
  • ISBN-13:978-4865283679
内容紹介:
メドゥーサ、ダプネ、セイレーン。神々に蹂躙される女たちが、いま自分の声で語りはじめる。海神ネプトゥーヌスに襲われ、襲われた罰を受けて人を石にする髪をまとうメドゥーサ、ユピテルに… もっと読む
メドゥーサ、ダプネ、セイレーン。
神々に蹂躙される女たちが、いま自分の声で語りはじめる。

海神ネプトゥーヌスに襲われ、襲われた罰を受けて人を石にする髪をまとうメドゥーサ、ユピテルに狙われたことが引き金となっておおぐま座にされたカリスト、愛する夫の死を悲しんで海に身を投げ、カワセミになったアルキュオネ、いなくなってしまった友達を探すために翼を得て歌い、その歌に男たちが引き寄せられるようになってしまったセイレーンたち……。
オイディウスによるラテン語文学の最高峰『変身物語』からこぼれ落ちた女性たちの声をすくいあげ、燃える怒りと深い悲しみ、そして生き延びるための願いをこめて語り直す、注目の短篇集。

男性側に都合のいい理屈を語り直す

古代ギリシャ以来、西洋文学には男性中心/優位の時代が何千年と続いた。書くのも男性、書かれるのも多くは男性。叙事詩では、戦争での英雄の武勲が謳われ、王さまが讃えられ、国の繁栄を寿ぐ。その生活を支えていたはずの女性の声や姿はとかく影が薄い。十一世紀の『源氏物語』の英訳を読んだヴァージニア・ウルフは極東の女性による繊細で鋭利な洞察と抒情性に触れ、同時代の英文学との差に唸ったものである。

この強者/男性寄りの視点を弱者/女性寄りの視点に転換する「語り直し文学」のブームが、英米文学圏で続いている。人気の題材はギリシャ・ローマ神話、戦争(特にトロイ戦争)、シェイクスピアといった辺りだ。

『覚醒せよ、セイレーン』の下敷きになった『変身物語』は、古代ローマの詩人でエレゲイア恋愛詩を多く手がけたオウィディウスの数少ない叙事詩の一つだ。神話の登場者たちが次々と動植物や鉱物や神に変わり身するが、『覚醒せよ』では34章の1章ずつに女性たちの声が与えられ、変革のコーラスを奏でる。

本作の大きなテーマは性加害だ。例えば、欲情したアポロンに追われたダプネは木になってしまう。女性の精神の受難と草木への変容/一体化というモチーフは、近現代の英米文学でも繰り返し書かれており、ウルフ、ルイーズ・グリュック、若いアマンダ・ゴーマンの詩にも見られるものだ。

『変身物語』の雅な婉曲表現をひき剥ぐのも本作の特徴の一つである。ヘクサメトロス(古代ギリシャ語叙事詩の代表的な六歩格韻律)の韻文から凝った技巧がはずされるとき、その真相は姿を現すだろう。アラクネは男神らの「性犯罪」を主題に「ファック」の様子などをタペストリーに織ったし、テティスは「暴行」されて母親になったのである。

イオはユピテルに拉致され牛に変えられるが、この悲劇の核心は言語機能の喪失として描かれる。ユピテルが寄ってきてグルーミング(手懐け)しようとすると、イオは拒否の意思をはっきり示すが、男はそうは受けとらない。

イオは思う。「突然、言葉が本来の意味とは違う意味を持つようになる」と。彼女は犯されている最中に乖離症状様のことが起き、「突然その自分が消えて、私は肉体で入口で手段になった」という。

性暴力が起きれば被害者が責を負わされる。あのメドゥーサが化け物に変えられたのも、男神にレイプされ神殿を穢したという理由なのだ。欲情させる女がわるいという思考は男性が作りだした「ファム・ファタル」(宿命の女)という概念に繋がりいまも生き永らえているだろう。男性は女性が放つ抗えない魔性に誘いこまれて罪を犯したむしろ犠牲者なのだ、という都合のいい理屈だ。その欺瞞を、カモメの目で語り直す「セイレーンたち」の章も明確にする。

本書のもう一つの特徴は、女性たちの暮らしを描くことだ。彼女たちは生理になるし、妊娠中にヨガをやり、幼子にオーガニックコットンの肌着を用意する。

こうした日常の重要な小事を、神話という“大きな物語”は抹消していた。そんな小事こそが文学の中核的題材になるのは、“小”説という散文文芸が発達してからなのだろう。
覚醒せよ、セイレーン / ニナ・マグロクリン
覚醒せよ、セイレーン
  • 著者:ニナ・マグロクリン
  • 翻訳:小澤 身和子
  • 出版社:左右社
  • 装丁:単行本(ソフトカバー)(368ページ)
  • 発売日:2023-06-05
  • ISBN-10:4865283676
  • ISBN-13:978-4865283679
内容紹介:
メドゥーサ、ダプネ、セイレーン。神々に蹂躙される女たちが、いま自分の声で語りはじめる。海神ネプトゥーヌスに襲われ、襲われた罰を受けて人を石にする髪をまとうメドゥーサ、ユピテルに… もっと読む
メドゥーサ、ダプネ、セイレーン。
神々に蹂躙される女たちが、いま自分の声で語りはじめる。

海神ネプトゥーヌスに襲われ、襲われた罰を受けて人を石にする髪をまとうメドゥーサ、ユピテルに狙われたことが引き金となっておおぐま座にされたカリスト、愛する夫の死を悲しんで海に身を投げ、カワセミになったアルキュオネ、いなくなってしまった友達を探すために翼を得て歌い、その歌に男たちが引き寄せられるようになってしまったセイレーンたち……。
オイディウスによるラテン語文学の最高峰『変身物語』からこぼれ落ちた女性たちの声をすくいあげ、燃える怒りと深い悲しみ、そして生き延びるための願いをこめて語り直す、注目の短篇集。

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2023年6月10日

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