日仏が協力 「土」を多様な視点で
猛暑とおかしな雨の降り方でこの夏は野菜などが思うように育たず、お米も質が落ちたという。このままでは食べ物が必要なだけ手に入らなくなるのではないかと気になる。食べものづくりを支えるのは土。それに加えて、近年土砂崩れが多いのは、土とのつき合い方がうまくできていないからではないかという問いもある。そこで最近、土に強い関心を持つようになった。そこへ、フランスと日本の協力で生まれた土の本だ。執筆者の専門は、社会学、歴史学、民俗学、農学、建築、哲学、美術評論、陶土製造、陶芸と多岐に渉(わた)る。私たちが暮らす場は、大気と海の存在を特徴とする星である。土は平均で厚み一メートルほどしかない。それなのに、地球と呼ばれるのだ。私たちの暮らしは、この薄皮のような土に依存していることを昔の人は分かっていたのだろう。
大気や水と違って、土は本来存在したものではない。岩石から生じた粘土(シリカ・無機)と植物が分解した腐植土(炭素・有機)の混在したものが土であり、母岩の性質、その地の気候と植生の掛け合わせで多様になる。土は「鉱物界と有機界それぞれのうちでもっとも複雑な二つの物質からなる極めて複雑な環境なのである。土壌のなかには全生命体の八〇パーセントが棲息(せいそく)している」とある。
腐植土は農業を支え、粘土は陶工たちの手によって陶磁器になり、住居も作られる。このような総合的視点は、これまであまり出されていなかったように思う。
縄文の頃から土器は作られ、土は農耕以前から粘土として生活に深く入り込んでいたのだ。定住化へ向けて最初の住居は、生(なま)の土で作られた。その後腐植土の力を活用する農業によって得られた食物は土器に、今では陶磁器に盛られ、二種の土がつながる。
住居として「土と左官から見た日本の建築史」が語られる。日本の土が生み出した木材で作る建築の中での壁や土間には独特の美しさがある。土を材料にしながら繊細さ、均質さを追求し、平らで肌理(きめ)の揃(そろ)った面をつくるのだ。左官職人の一朝一夕では身につかない技術である。フランスでは、1979年に若い建築家集団が「土建築国際センター」を創設した。地域の文化遺産や住民の要望を生かし、現地の土を活用するプロジェクトは、2010年ハイチでの地震からの復興に活(い)かされた。
後半は、陶磁器の歴史、コンテンポラリーアートの中に活かされている土の姿の紹介となる。その中で日本の陶磁器用陶土製造者が「大切なのは人間の手と土をどう合わせていくか」だと語り、数千万年の地球の営みの蓄積を使っているという意識なしに消費していけば、使える粘土はなくなると懸念しているのが印象的だ。
土を農業との関わりだけでなく、生活の基本を支えるものとして総合的に捉える視点は日本に古くからあったことを赤坂憲雄が示す。『風土記』で、農耕のための肥えた黒い土と、祭祀(さいし)の器や甕(かめ)・瓦(かわら)を作るための痩せた赤い土が区別され、それぞれの意味が語られているのだ。このような神話・民話は多く、この捉え方は地球上のさまざまな地域で早くから行われている本質的なことと分かる。
土を汚し、土から離れる生活をしてきた現代社会の見直しは、不可欠であるだけでなく、面白い未来につながると思える。