書評

『夜の人工の木』(青土社)

  • 2024/02/07
夜の人工の木 / 豊原 清明
夜の人工の木
  • 著者:豊原 清明
  • 出版社:青土社
  • 装丁:単行本(101ページ)
  • 発売日:1996-05-20
  • ISBN-10:4791754557
  • ISBN-13:978-4791754557
内容紹介:
生きるために手探りで詩を書き続けてきました…。不登校や家庭内暴力など、こころの病いを内に秘めながら、鋭敏な感性で、豊かなポエジーを結晶させた、32篇の原鉱石。第1回中原中也賞受賞作品。95年霧工房刊の再刊。
受賞作の中に、「言葉」という作品がある。

これ以上/喋らんとこう/これ以上 話をするとダメ人間に/なってしまう/だまっていよう/だまっていよう/相手だけに/喋らせよう/だまっておこう/だまっておこう/マトモな人間に/なれるかもしれん

この詩のままに、豊原君は寡默だ。うつむいたまま、考え考え話す。ひとこと言っては次の言葉を探し、また言っては探す。

小学校三年までは、サッカーをする普通の少年だった。いじめられるようになったのは四年生のとき、てんかんで倒れたことがきっかけだった。「頭がおかしい」と噂をたてられた。

「変な目でジロジロ見るので、なんかおかしいと思って、友達に直接聞いたら、そう言われた」

豊原君は怒った。

「友達は謝ったけど……。先生は、あんまり叱らなかった。ほかのことでは厳しいのに、病気のことではなんで……。すごく腹たった」

いじめは卒業まで続いた。ずっと耐えていたが、中学校一年生の五月で学校へ行くのをやめてしまった。決定的だったのは、女子生徒の言葉。「あんた、気が狂ってるんでしょ」だった。

詩を初めて書いたのは、小学五年の授業だった。「花」というタイトルの詩。自分ではとてもよく書けたと思ったが、先生は優等生の詩ばかりほめて、ちっともほめてくれなかった。よし、もっとうまくなるぞと思った。六年になって、新聞広告で見た神戸新聞文化センターの児童詩教室に通い始めた。そこで、いまも恩師と慕う先生が、「とてもいい」とほめてくれた。

「すごくうれしかった。自分のことをわかってくれる人はいないと思っていたのに、こんな先生がいるんだなって」

児童詩誌「朝霧」に次々と詩を発表。詩が自信になった。毎日七編ほど書いた。学校に行かず、昼夜逆転の生活。少ない日でも一、二編、寝転びながら書いた。

苦しかった。学校は嫌いだが、行きたいと思っていた。テストだけ受けに行ったのはその負い目からで、いい点が取りたかった。だが、電話をくれると言った先生が、電話をくれなかったり、不信感が募った。一方で、人に何かしてもらいたいと期待するのは、自己中心的だとも感じていた。せめぎあう思いを詩にぶつけた。

(略)もう/生きるのが嫌になってきた/でもね/僕の死に場は/どこにもないから/死ねないの/殺してくれる人も/いないの/みんな/生きていこうと/がんばったけどね/リタイヤしたの(「豆電球」)

「死にたいと思うことはものすごくありました。でも口ではそう言っても、本心では死にたくないんです」

豊原君の詩には、オアシスとして「原っぱ」や「草」がよく登場する。

太陽がある日には/僕はボール遊びをします/もっと上がれ/もっと上がれと/草の上/そして遠くへ遠くへ/散歩に出かけます(「太陽」)

「原っぱは毎日行きました。ボーッとして、草のにおいが気持ちいいんです。なくなったらいやだと思って、写真に撮っておこうと、祈るような気持ちで撮ったこともありました」

家の近くの、海に沈む夕日がきれいに見える丘だそうだ。

自作への評価は、

「僕の詩はシュールな詩だと思っていて、意味のわからないのが好きです。まわりの人は意味のわかるのが好きみたいだけど」

人にもっと自分の詩を読んでもらいたい。いまは穏やかなときのほうが、いい詩ができると思っている。最近、楽しいのが句作。中学二年のとき「朝日俳壇」に載ってから、投稿を続けている。好きなのは山頭火。自由で突き抜けているから。読むと落ち着く。詩はつらい。

「でも、いまやめたら、昔の自分に失礼かなと思って」

だから、詩は続けていく。「夕日」という作品がある。

(略)/お前は人に叩かれた//お前は人に叩かれた/「さびしい」なんて 言っちゃダメ/イメージが限定されるから…/詩の世界は非情なんだ/だから/サーフボードを持って/夕暮れの浜辺まで/歩く

豊原君のような良い感性をもった少年が、学校に行けなくなる確率は高いのでしょう。でも、彼のような感性を持ちながら、我慢して学校に通っている少年少女も多いはずです。それゆえに問題は深刻だと思います。

つまり、学校に行くうちに感性が摩滅し、ただの人になり、いじましい物欲主義者にさえなってしまう。そういう人間を作る製造装置のような教育が、ばい菌のごとくはびこっているのです。

豊原君はあとがきで「生きるために手探りで詩を書き続けてきました」と堂々と書いていますね。単に文学好きの青年でない。精神の自立のために詩を書かねばならなかった。自分の体験を見つめ、しっかりとらえて表現しています。だから彼の詩は、期せずして現代詩の閉塞状況への批判にもなっていると思います。

つらい状況を抜けてきた少年なのでしょう。孤独と批評精神が表裏一体になっている。それでいて、社会を見つめる目が優等生よりも素直です。

だから読んでいて、さわやかだ。表現がためらいなく飛び込んできます。けっこうユーモア精神もあるんですね。〈国を愛する僕は/おしっこをもらしてしまった〉で終わる「八月」なんてね。

代表作を選ぶと、「コスモス」(一三六頁)ですか。詩にコスモスという言葉は一度も出てこない。だけど全体から、自分がコスモスのような存在だという感じが伝わってくる。仲間から疎外されたこともあるでしょうが、社会そのものがそういう体質を持っていることへのプロテストの気持ちが詩を生んだと思う。

受験戦争に対する激しい批判の「雨の中の欲望」(一三六頁)もいいですね。遺書のような緊迫感をもった書き出し。それでいて〈みんないい人ばかりだった〉という。立派なポエジーです。感性そのものが汚されていない。突き放しができている。天性の詩的センスが感じられます。

いくつかの大学で非常勤講師をした経験から、一流といわれる大学の学生ほど自分の頭で考える能力が低い。

東京大学で教えたとき、本当にびっくりしましたねえ。講義をすると、みんな一心不乱にノートをとる。「ノートなど取らず、レジュメだけ作りなさい」と言うと、それまで書く。それならと「ゆっくりしゃべったほうがいいかね」と言ったら、いっせいに「お願いしまーす」と、まるで幼稚園児のごとく言う。質問はと言うと、ノートを見ながら、「あそことあそこの間が聞き取れませんでした」ですから。飼い慣らされた羊たちですよ。

それでも講義の十回目くらいに、「あなたは戦後の産業行政を批判しているが、行政が適切だったからこそ日本が発展したのではないか」と手を挙げて発言する学生がいた。やっと骨のある質問が出たと思いながら意見を述べたのですが、ふと気になって、「君は就職が決まってますか」と尋ねたら、「はい、通産省に行きます」と答えるんです。

入省が決まって、早くも帰属意識を発揮させたわけです。すさまじく素直でしょ。こういう産業戦士ばかりを生み出したが、変革のときが来たら、さあ、お手上げです。講義をしたのはいまから十五年ほど前でしたから、役所に入った学生は課長補佐くらいになってますか。いまの霞が関を見ていると、ねえ。

ある小学校の理事長をしていますが、子供たちは自由で感性があって、日本人も捨てたもんじゃないと思う。それが教育を受けていくうちに、そうでなくなってしまう。

才能というのは、一般教育となじまない面がある。例外を認める余裕が必要だ。豊原君は学校を離れ、才能を伸ばした。そのことを教育現場の人に考えてほしいですね。
夜の人工の木 / 豊原 清明
夜の人工の木
  • 著者:豊原 清明
  • 出版社:青土社
  • 装丁:単行本(101ページ)
  • 発売日:1996-05-20
  • ISBN-10:4791754557
  • ISBN-13:978-4791754557
内容紹介:
生きるために手探りで詩を書き続けてきました…。不登校や家庭内暴力など、こころの病いを内に秘めながら、鋭敏な感性で、豊かなポエジーを結晶させた、32篇の原鉱石。第1回中原中也賞受賞作品。95年霧工房刊の再刊。

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初出メディア

週刊朝日

週刊朝日 1996年3月15日

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