問われる新しい社会構築への意欲
本文だけで五百頁に達しようという分厚い本で、いわゆる読みものではなく写真や図表を多く含む資料集といってもいい。記述自体も淡々としており、著者の私見、感慨の類はほとんど記されない。なぜこうした本を紹介したかというと、このところ自分の関心が天災に向いているからというだけのことで、折しもトルコからシリアにかけて大地震があり、死者は五万人を超えたと報道されている。その被害からの復興もまさにこの本の主題と重なるわけで、しかも類似の天災はわが国ではいわば普通のことである。二〇二三年は関東大震災からちょうど百年、次の震災がいつ起きても不思議ではないとされる。トルコの地震を他人事とは思わず、自分のこととしてあらためて考えてみようと思った。
本書は三部構成になっており、第Ⅰ部は関東大震災、昭和三陸津波、東日本大震災を繋いで、行政の対応を追う。第Ⅱ部は十二年前に刊行された『関東大震災の社会史』の再版となっている。その主題は震災に遭った東京圏から日本の各地への避難民の動向である。被災者自身の手記なども引用されており、当時の状況が生き生きとよみがえる感がある。第Ⅲ部は「関東大震災・資料篇」と題され、「関東大震災における避難者の動向」を東京都慰霊堂に納められた震災死亡者調査票の分析を通じて調査したものである。
第Ⅱ部を再版した理由は、「被災地を逃れた避難者を各地の公文書から徹底して追った旧版は、それまでの関東大震災関係のなかでは類書のない視点であったから、今後の大災害への警告の意味も込めて、再版する意義があると考えた」とする。二〇三八年ごろには南海トラフの地震が専門家により想定されており、著者の警告には相当の根拠があると考えてよい。
そうした状況を考慮すると、本書では触れられていないが、次の大災害の後にどのような日本社会を構築するかについて、あらかじめ国民の大きな同意が存在していることが大切だと考えられる。災害以降の復興を、復旧つまり災害以前の状態に戻すとすべきか、復興つまり新たな社会を構築するとすべきかは、確固とした未来社会の像が存在するか否かにかかっている。災害以前にただ戻すのではなく、まったく新しい社会を構築する「復興」を目指す意欲が国民にあるかが問われる。
現代の日本社会はかなり固定した価値観でほとんど無意識に縛られているように思われ、若い世代もその例外ではない。少子高齢化が災厄のように見なされていることは、その好例であろう。少子高齢化は意図されたことではなく、いわば自然現象と見ることができるが、それを単に災難と解釈するのは気分の問題に過ぎない。全体としてみるならば、少子高齢化から人口減少に至る社会ではエネルギー、水、食糧など生存に必須な物質量が総体として減少するはずであり、来るべき災害によっていわゆる環境問題を解決する好機が訪れると考えてもいいであろう。
著者の筆致は淡々としており、情緒に訴える型の記述は極力排除されている。災害についての記述は被害が中心となることが多い。しかし社会の存続にとって肝要なことは、被害ではなく本書のタイトルに見る「復興」であることはいうまでもない。