結核感染の判定薬として知られるツベルクリンが、当初コッホが開発した治療薬として「過剰な期待感に満ちた集団的な動き」、つまり騒動を引き起こした経緯が、医療「情報」の伝達、普及、切り分けという面から示される。著者は「情報」の伝達のされ方と同時に、内容の「選択」と「切り分け」とに注目する。「21世紀の技術革新がもたらした社会」は「『切り分け』が誰の目にも見えにくくなっている」ことが問題であり、その解決には歴史家の参加が必要と考えているからである。
日本での騒動は、従来海外からの情報で新聞や開業医が騒いだことにされてきたが、実は長与専斎(内務省衛生局長)が導入し、福沢諭吉(『時事新報』主幹)が広めたのだとある。そのうえ、北里柴三郎もこれを「科学的医学」として囲い込んだと知り驚いた。権威による実践への批判や評価を許さない医療界の風土誕生の原点ここにありというわけだ。「特例法」発令下で行われた臨床実験については、内務省衛生局の報告書作成も情報公開もなく、「国家医学」という概念が生まれて情報誌の階層化が進んだ。事実を通して医療史を考える見事な例だ。