書評
『英語教育論争史』(講談社)
英語学習にかけた時間と努力に見合った能力を身に付けたかどうか。おそらくほとんどの日本人はため息すら出ないほど諦念をもっているのではないだろうか。二、三年英語圏に滞在した人でも、ニュースなら多少は理解できても、映画の場面となると心もとないという程度だろう。
なぜかくも日本人は英語の習得に悩まされてきたのか。そもそも言語構造のまったく異なる英語が必要なのか。それを問うとき、一九六一年、全都道府県において高校入試に英語が課されたことの意味は大きい。
明治の文明開化以来、使える英語をめぐる論争は繰り返されてきた。戦前の英語科廃止論争、戦後の英語義務教育化論争を経て、七四年には、英語教育大論争がもちあがった。「実用的な技能習得のため」か「知的訓練と潜在力のため」かというもの。大方は前者に傾き、英語教育を実用目的に一元化した観がある。さらに東欧社会主義の体制の崩壊後、グローバル化が進み、「英語帝国主義」への賛否が問われている。
長年にわたって英語教員養成にたずさわってきた著者ならではの感慨は、英語に涙してきた読者に共感をもよおさせるだろう。
なぜかくも日本人は英語の習得に悩まされてきたのか。そもそも言語構造のまったく異なる英語が必要なのか。それを問うとき、一九六一年、全都道府県において高校入試に英語が課されたことの意味は大きい。
明治の文明開化以来、使える英語をめぐる論争は繰り返されてきた。戦前の英語科廃止論争、戦後の英語義務教育化論争を経て、七四年には、英語教育大論争がもちあがった。「実用的な技能習得のため」か「知的訓練と潜在力のため」かというもの。大方は前者に傾き、英語教育を実用目的に一元化した観がある。さらに東欧社会主義の体制の崩壊後、グローバル化が進み、「英語帝国主義」への賛否が問われている。
長年にわたって英語教員養成にたずさわってきた著者ならではの感慨は、英語に涙してきた読者に共感をもよおさせるだろう。
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