書評

『漫才病棟』(文藝春秋)

  • 2017/08/06
漫才病棟  / ビートたけし
漫才病棟
  • 著者:ビートたけし
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:文庫(251ページ)
  • ISBN-10:4167578018
  • ISBN-13:978-4167578015
内容紹介:
いつか、を夢見る若き下積み芸人達がたむろした町-浅草。そして、「世間からズリ落ちたような客ばかりで、正月ともの日と日曜日ぐらいにしか満席にならない浅草松竹演芸場」。誰もいない客席に向かって、漫才をつとめる男の眼に映ったあの時代がいま甦る。「週刊文春」連載時に好評を博した初の自伝的長篇小説。

『漫才病棟』を読んで、日本近代文学の起源を考える

日本近代文学の起源はというと「言文一致」で「二葉亭四迷」で『浮雲』ということになっちゃうのだが、そのきっかけになったのが三遊亭円朝であることも有名。円朝の落語『怪談牡丹燈籠』の速記本を読み(序文も書いて)、ああ日本文学はこうでなくっちゃと興奮した坪内逍遥が四迷に「長谷川はん、あんた、あれでいきなはれ!」(逍遥が大阪弁をしゃべるわきゃないが)と勧めたのがすべてのはじまりだったし、同じ頃やはり言文一致小説を書きはじめていた山田美妙(やまだびみょう)も円朝を参考にしていた。いま、その円朝の『怪談牡丹燈籠』や『名人長二』を読んでみても同時代の小説のほとんどより面白くかつ読みやすい。それはなんといっても語られる「はなし」の面白さということになるだろう。

円朝の作品は速記本だから、とりあえず語りですむが、小説ではそうはいかない。

「解らないナ、どうしても解らん
解らぬ儘に文三が想像弁別の両刀を執ツて種々にして此の気懸りなお勢の冷淡を解剖して見るに何か物が有つて其中に籠つてゐるやうに思はれる、イヤ籠つてゐるに相違ない、が何だか地體は更に解らぬ(以下略)」『浮雲』(「團子坂(だんござか)の観菊(きくみ)」より)

『浮雲』をじっくり眺めてみると、こんな具合にカギカッコ(前だけで後ろはなし)の会話文と地の文と地の文に混じった会話の三つが混在しているがバランスは悪く、やはり、この作品では「思想」を読まないとカッコがつかない。近代文学は円朝の「語り」(の一部)だけをいただいて「面白さ」は置いてきたのである。

さて、時代は変わり、平成の天才ビートたけしの自伝風小説『漫才病棟』(文藝春秋)。これは文句なしに面白かった。

鼻が曲がりそうな乞食の臭いに負けてその場を動けないでいると、ボロを厚くまとった同業の臭いジジイが、

「ヒェー、ヒェー、ヒェー」

と訳のわからない声を上げながら、追いかけて行く。昼前から乞食同士のもめごとだった。食い物のせいなのか金のせいなのか、どうせ喧嘩をするんなら、もう少し景気のいいやつをやればいいのに、いかにも気の滅入る声を出しやがって、腐ったカラスのようじゃねえか、何がヒェー、ヒェーだよ。

これもまさしく、会話(?)と地の文と地の文に混じった会話(?)の混在だが、バランスが絶妙なのは、四迷が「思想」にこだわったのに、たけしの方が正しく円朝の「語り」の精神に近いせいだろう。

ビートたけしの小説では『教祖誕生第一部』(太田出版)にも驚いたが、あれはいわば現代ではとっぽいとさえ思われる「思想」へのこだわりが四迷風に輝いていて、漫才をやるたけしが小説にやや遠慮をしている部分があったのに、こちらは一点、話芸の冴えへ振ってみせた。その戦略は大成功だったようで、文章の熟成度も格段に増している。

円朝とたけしの間に、「昭和の大名人」桂文楽の話を正岡容(まさおかいるる)が聞き書きした名作『あばらかべっそん』(現在はちくま文庫)をおいてみれば、オーソドックスな近代文学史とは別な歴史が可能ではなかったかとか、漫才は近代文学になりえても落語にはちょっと無理だなとか、いろんなことを考えつくが、「どうかこののちもよろしくとお願い申し上げて、このへんでこの長ばなしも、チョン(終)ということにさせて頂きます」(『あばらかべっそん』)。

【この書評が収録されている書籍】
いざとなりゃ本ぐらい読むわよ / 高橋 源一郎
いざとなりゃ本ぐらい読むわよ
  • 著者:高橋 源一郎
  • 出版社:朝日新聞社
  • 装丁:単行本(253ページ)
  • 発売日:1997-10-00
  • ISBN-13:978-4022571922
内容紹介:
どんな本にも謎がある。世界一の文学探偵タカハシさんが読み解く本の事件簿、遂に登場。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

漫才病棟  / ビートたけし
漫才病棟
  • 著者:ビートたけし
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:文庫(251ページ)
  • ISBN-10:4167578018
  • ISBN-13:978-4167578015
内容紹介:
いつか、を夢見る若き下積み芸人達がたむろした町-浅草。そして、「世間からズリ落ちたような客ばかりで、正月ともの日と日曜日ぐらいにしか満席にならない浅草松竹演芸場」。誰もいない客席に向かって、漫才をつとめる男の眼に映ったあの時代がいま甦る。「週刊文春」連載時に好評を博した初の自伝的長篇小説。

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初出メディア

週刊朝日

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