解説

『文庫 絵で見る明治の東京』(草思社)

  • 2017/09/29
文庫 絵で見る明治の東京  / 穂積 和夫
文庫 絵で見る明治の東京
  • 著者:穂積 和夫
  • 出版社:草思社
  • 装丁:文庫(336ページ)
  • 発売日:2017-10-03
  • ISBN-10:4794223005
  • ISBN-13:978-4794223005
内容紹介:
建築イラストの第一人者が絵と文で再現した明治の東京。築地ホテル館、鹿鳴館、浅草12階、新橋ステーションなど主要建物を網羅。遊び、服装、馬車など風俗も活写。
いかにも気軽に、サラリと描かれているように見える穂積氏のイラストとテクストの中に見いだせるのは、じつはまさに「自己抑制」「自己鍛練」にほかならず、「彫心鏤骨でありながら」、しかし「意外にも健全な労苦」「『価値』を生み出すために費やされた膨大な時間」だからである。

具体的にいってみよう。

まず、「明治の東京」の象徴である銀座レンガ街を描いた三〇ページを開いていただきたい。これは尾張町と呼ばれた現在の銀座四丁目の交差点のイラストで、時代は明治二十年代後半から三十年代初頭にかけての風景だと思われる。次に、二〇四ページを開くと、今度は同じ視点に立つ、明治後期、すなわち明治三十年代後半から四十年代にかけての銀座尾張町のイラストが描かれている。この二つのイラストを比較することで読者は明治の銀座レンガ街のイメージを容易に獲得することができるだろう。いずれも筆に何の迷いもなく、まるで脳髄にあるイメージをそのまま引きうつしたような容易さである。

だが、『失われたパリの復元──バルザックの時代の街を歩く』(新潮社)という本を上梓して、失われた街の図像学的復元がどれほど大変であるかを骨身に滲みてわかっている私には、この一見、簡単なイラストに費やされた膨大な時間が容易に想像できるのである。

第一に、このイラストを描くには資料集めから始めなければならない。しかも、その資料というのは二次資料であってはダメなのだ。なぜなら、二次資料では、取捨選択が行われた結果、求めるスポットの完全な復元はできないからである。そのため必然的に一次資料の収集を行う必要が出てくるが、これにはいうまでもなくお金と時間がかかる。

第二はたとえドンピシャリの図像資料が発見されたとしても、それをそのままトレースするわけにはいかないということである。なぜなら、建築イラスト、街路イラストというのは四十五度の投射角度から眺めた図像を、エッシャーのように、ある意味、頭の中で魔術的に再構成しないと「リアルに見える」イメージは得られないからである。図像資料をコラージュして「リアルに見えるフィクティフな映像」を作り上げていかなければならないのである。

しかし、これだけでは十分ではない。細部というものが残っているからだ。たとえば、銀座四丁目のランドマークとなっていた「朝野新聞」の建物の外にどのようなコーナー・ストーンが用いられていたのかとか、その看板がどのように掛かっていたのかとか、さらには「朝野新聞」の隣にあった建物の避雷針と塔はどのようなものであったのかという細部を描くには同時代の証言や回想に当たってみる必要がある。しかも、建物の内部はどのような構造になっていたかということも重大である。たしかに外見は西洋風のレンガ街であっても、店裏に回れば、そこは日本人の伝統的な生活様式が支配する世界であったからだ。これも同じように証言や回想に基づいて復元しなければならない。さらには点景として配された通行人の服装も時代考証を厳密にしておく必要がある。

こう書くと、人によってはなにもそこまでこだわる必要はないんじゃない、分からないところは想像で描けばいいんじゃない、論文じゃないんだからそこまでの厳密さは要求されていないでしょう、と言うかもしれない。

しかし、「自己抑制」「自己鍛練」を旨とするダンディ=剣士であらんとする穂積氏としては、そうした「適当さ」「いいかげんさ」というものこそ絶対に許すことのできないものなのである。なぜなら、自己の定めた規律とタブーを厳しく守ろうとする姿勢こそは、ダンディ=剣士の本質であるからだ。

だがしかし、こうした剣士的な禁欲はいささかも病的な彫心鏤骨を意味しない。むしろ、イラストから感じ取られるのは、グールモンのいう「健全なもの」、徹底したダンディスムの中にさえ一貫して感じられる健全さである。健全さとはバランス感覚がよく保たれているということを意味する。穂積氏のイラストが時代の経過にもかかわらず、いささかも古びていないのは、じつにこの健全な感覚なのだ。

私は、近年、失われたパリの復元と同時に、神田神保町の歴史的復元も試み、『神田神保町書肆街考──世界遺産的〝本の街〟の誕生から現在まで』(筑摩書房)という本も上梓したが、そのさいには、神田神保町に集まっていた各種の学校や神田錦輝館、チンチン電車などの細部を調べるうえで穂積氏の著作にどれほど学恩をこうむったか知れない。

最近、雑誌で氏の近影をお見かけしたが、八十歳を超えたお齢であるにもかかわらず、なお矍鑠として、ダンディスムも衰えを見せていなかった。そう、じつにカッコイイのである。まさにラスト・サムライここにあり、であった。

氏の他の著作も草思社文庫に入ることを強く望みたい。
文庫 絵で見る明治の東京  / 穂積 和夫
文庫 絵で見る明治の東京
  • 著者:穂積 和夫
  • 出版社:草思社
  • 装丁:文庫(336ページ)
  • 発売日:2017-10-03
  • ISBN-10:4794223005
  • ISBN-13:978-4794223005
内容紹介:
建築イラストの第一人者が絵と文で再現した明治の東京。築地ホテル館、鹿鳴館、浅草12階、新橋ステーションなど主要建物を網羅。遊び、服装、馬車など風俗も活写。

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