解説

『ビデの文化史』(作品社)

  • 2017/10/04
ビデの文化史 / ロジェ=アンリ・ゲラン,ジュリア・セルゴ
ビデの文化史
  • 著者:ロジェ=アンリ・ゲラン,ジュリア・セルゴ
  • 翻訳:加藤雅郁
  • 出版社:作品社
  • 装丁:単行本(336ページ)
  • 発売日:2007-08-31
  • ISBN-10:4861821428
  • ISBN-13:978-4861821424
内容紹介:
ベレー帽、フランスパンとともに、「フランス人の三大発明」として、世界の人々が愛用するものがある。それが、かの「ビデ」である。この偉大なる発明品は、ルイ15世の時代、宮廷の貴婦人の「… もっと読む
ベレー帽、フランスパンとともに、「フランス人の三大発明」として、世界の人々が愛用するものがある。それが、かの「ビデ」である。この偉大なる発明品は、ルイ15世の時代、宮廷の貴婦人の「秘密の身だしなみ」のために、パリの高級家具職人によって初めて製作され、贅を尽くした美術品のように洗練されていく。さらに、高級娼館の必需品となり、みだらな風俗の象徴ともなっていく。しかし、その名は公然と口に出されることのない秘密の存在であり、それゆえに、好奇とフェティシズムの対象ともなってきた。本書は、女性の私室の中に秘められた歴史を、生活・文化・風俗史の資料をもとに、名著『トイレの文化史』の歴史学者が、初めて明らかにしたものである。

我は如何にしてビデなるものを知りし乎

いまだフランスの地を踏んだことがなかった大学時代、辞書と首っ引きで原書を読んでいて、どうにも理解できずに首をかしげることが少なくなかった。

今でも覚えているのは「ビュッシュ・ド・ノエル(bûche de Noël)である。ある小説のなかで、クリスマスになると、家族が食卓を囲んで「ビュッシュ・ド・ノエル」を食べるという一節にぶつかった。当時もっとも権威のあったスタンダード仏和辞典を引くと「クリスマス前夜にたく大きい薪」とある。今では「ブッシュ・ド・ノエル」としてどこの洋菓子店でもクリスマス前に売り出されるから知らない方が珍しいだろうが、一九七〇年代前半に店頭に並べていた店はほとんどなかったはずだ。フランスでも第二次大戦後に売り出されるようになった菓子だから、リトレその他の仏仏辞典にも載ってはいなかった気がする。まさか菓子とは知る由もなく、何か特別なる儀式として薪を食べるという信じがたい習慣がまだ見ぬフランスにはあるのだろうと思うほかなかった。

あるいは「クスクス」(couscous)。このマグレブ諸国由来の大衆料理は、最近の仏和辞典なら「蒸した粗びきの小麦に、肉・野菜を添え、香辛料のきいたスープをかけて食べる北アフリカの料理」(『ディコ仏和辞典』)とあって、食べたことがなくてもある程度想像がつくし、現物もこの説明から遠くかけ離れたものではない。これが昔の仏和では「揚げた肉団子」と書かれていた。最初にフランスに行ったとき、北アフリカ料理の店でクスクスを注文したときは飛び上がるほど驚いた。揚げた肉団子を食べるつもりでいたのに、湯気立つスープが肉と野菜と小麦粉(スムール)の皿に添えられていたからである。如何に評価の高い仏和辞典でも、こと料理用語になるとからきし駄目だということを骨身に感じた瞬間であった。

それが今では、「マカロン」や「カヌレ」も「ファー・ブルトン」も「クイニー・アマン」も、デパートに出店するくらいの洋菓子店ならふつうに売っているし、フランス料理屋へ行けば「ジビエ」すら食べられるようになった。フランスで日常的に食べていて、日本ではなかなかお目にかかれないのはせいぜい「スープ・ド・ポワソン」、魚のスープくらいだろうか。こればかりは缶詰の輸入もされていなくて、よほど特殊な店に行かないと食べられないようである。

それでも食べ物であれば、たいていのものは私たちの口に入らないということはないし、フランスにさえ行けば苦もなく食べられるはずのものである。ところが食べ物以外の日常生活習慣ではなかなか理解できぬことが少なくない。入浴やトイレにまつわる彼我の違いについてはジャン・フェクサス『うんち大全』(作品社)、ドミニック・ラティ『お風呂の歴史』(白水社。ともに拙訳)などをご覧頂ければある程度わかるだろうが、そこで採り上げられていないことのひとつ、しかもきわめつきの重要な項目のひとつが本書の主題となっているビデであった。

ビデはトイレとも風呂とも寝室とも密接な関係にある。しかし、セックスに関する本は枚挙にいとまなく、風呂やトイレに関する本もそれなりに出ているとはいえ、ビデを正面から取り扱った本はおそらく他に例を見ないのではなかろうか。ビデは本書にあるごとく、十八世紀以来「ご婦人たちの秘めた友」であり、紳士淑女たる者、決してあからさまに口に出してはならないものとしてフランスやイタリアの部屋の片隅でひっそりと、されど、たしかに息づいてきたのである。

どうせビデなどヨーロッパの特殊な衛生思想の産物であり、敷島のわが大和民族には縁がない——そうお考えだとしたら、失礼ながら間違っている。一九八〇年代に登場し、四半世紀をかけて着実に広まったメイド・イン・ジャパンの温水洗浄便器には当初から「ビデ」のボタンが附いていた。それに……。

ビデ《名詞》(フランス bidet)《ビデー》女性用性器洗浄器。*モダン辞典(一九三〇)「ビデエ(性・住)外国風のホテル等の化粧室に、備へつけてある避妊用の洗滌装置を云ふ」

と『日本国語大辞典 第二版』にあるように、昭和五年発行の辞典にはすでに項目として載っていたのだ。

そう、ビデは八十年近く昔からこの国で知られていたのである。しかし、その理解は実際どうだったのか。

以下にいくつか辞書の説明を並べてみよう。

まずは『広辞苑第五版』。

ビデ【bidetフランス】
女性用局部洗浄器。

あっけないほど簡単な説明である。『大辞林第三版』も

ビデ〖フランス bidet〗
女性用の局部洗浄器。

と、たいして変わらない。その代わり、簡潔なだけに想像は果てしなく広がるかもしれない。局部を洗浄する「器」とはどういう形なのか。どう使うのか。そこへゆくと、百科事典はさすがに一味違う。

(次ページに続く)
ビデの文化史 / ロジェ=アンリ・ゲラン,ジュリア・セルゴ
ビデの文化史
  • 著者:ロジェ=アンリ・ゲラン,ジュリア・セルゴ
  • 翻訳:加藤雅郁
  • 出版社:作品社
  • 装丁:単行本(336ページ)
  • 発売日:2007-08-31
  • ISBN-10:4861821428
  • ISBN-13:978-4861821424
内容紹介:
ベレー帽、フランスパンとともに、「フランス人の三大発明」として、世界の人々が愛用するものがある。それが、かの「ビデ」である。この偉大なる発明品は、ルイ15世の時代、宮廷の貴婦人の「… もっと読む
ベレー帽、フランスパンとともに、「フランス人の三大発明」として、世界の人々が愛用するものがある。それが、かの「ビデ」である。この偉大なる発明品は、ルイ15世の時代、宮廷の貴婦人の「秘密の身だしなみ」のために、パリの高級家具職人によって初めて製作され、贅を尽くした美術品のように洗練されていく。さらに、高級娼館の必需品となり、みだらな風俗の象徴ともなっていく。しかし、その名は公然と口に出されることのない秘密の存在であり、それゆえに、好奇とフェティシズムの対象ともなってきた。本書は、女性の私室の中に秘められた歴史を、生活・文化・風俗史の資料をもとに、名著『トイレの文化史』の歴史学者が、初めて明らかにしたものである。

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