解説

『親子丼の丸かじり』(文藝春秋)

  • 2017/10/27
親子丼の丸かじり / 東海林 さだお
親子丼の丸かじり
  • 著者:東海林 さだお
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:文庫(227ページ)
  • ISBN-10:4167177501
  • ISBN-13:978-4167177508
内容紹介:
焼き鳥のタレ・シオ問題、名古屋の食べ物大考察、チャーシューメンを頼む人のドーダ!的態度、あお向けアイスモナカで放心のひととき、カステラの切断面について、スイカの丸剥きボール食い、さらに返還直前の香港でナマコ、鶏のアシまで食し胃袋も笑いも大充実。ショージ君の珍案、新・どんぶりに丼内も騒然。
東海林さだお作品(マンガもエッセーも)は長期にわたって、しかも高い水準で人気を保って来た。文春文庫だけでもこれがちょうど五十冊目だという。もはや国民的マンガ家、国民的エッセイストと言っていい。東海林さだおファンが層厚く、この国に存在しているのだ。その事実は、私には何とも頼もしくうれしいことに思える。何だかわからないけれど、「日本はだいじょぶ」「日本人はいい人だ」と思えるのだ。日本人の多くが、まだまだまともな羞恥心を持っているということじゃあないか。ショージ君やタンマ君の赤面のわけをわかるということじゃあないか。それは私に言わせれば「民度が高い」ということなのだ。偉そうな言い方になるけれど。

たとえ田中真紀子支持者のオバハンであっても、「丸かじり」シリーズの愛読者だったら、私は和気あいあいとお話しできるような気がする。たとえ未だにギョーザ靴(甲の部分にギャザーが寄っていて横にチマチマした金具飾りがついている靴)をはいて、グラデーション眼鏡(レンズの上部が茶色のボカシになっている眼鏡)をかけているオヤジでも、「丸かじり」シリーズの愛読者だったら、一メートル以内の至近距離にいてもイヤじゃあないような気がする。「丸かじり」シリーズには、何だかそういう力があるのだ。親和力。

私にとっては、そこのところも落語と同じ。超党派的にというか、いろいろな違いをすっ飛ばして、連帯感や親密感をかき立てられてしまうのだ。

もう一つ、落語と似ているなあと思うのは、反復に耐えるところだ。何度読み直しても面白い。あの章のあの一言、あの一節、あのフレーズをもう一度楽しみたいという気持にさせる。

例えば、「板ワサ大疑惑」の章における「板ワサどまり」「板ワサ上がり」というフレーズ(何気ないが「板ワサいてくれたか」というのも私は好きですね)。「名古屋エビフライ事情」の章における「噛みでがあるでよ」というフレーズ、および「で」についての考察。「民衆の敵カニクリームコロッケ」の章における「(クリームコロッケは)パセリなんかちょこっと頭にのっけて小首をかしげたりしている」というフレーズ(かわいいじゃないか?!)。「チャーシューメンの誇り」の章における「かんな感」というフレーズ、および「かきわけ感」というフレーズ……。

などと挙げて行ったらキリがない。とにかく各章必ず一つは卓抜なフレーズと出合うことができるのだ。

食べ物の擬人化のおかしさ。当然のごとく、落語の世界にもそういう擬人化テクニックがある。桂文楽の『鰻の幇間(たいこ)』で、たいこもちの一八(いっぱち)が鰻屋の料理や器にケチをつけるところが有名だが、私はここでまた志ん朝さんの『居残り佐平次』の一節を思い出してしまう。品川遊廓で無銭飲食をたくらんだ佐平次が、酒を呑んで寝て、起きてから迎い酒をして、さらにまた酒を頼む。その時の言い草が「迎いにやった酒が、ゆうべの酒と話し込んじゃった」「しようがねえなあ、すぐに帰って来いよーって言ったのに。また迎いをやらなくちゃ」――。

「丸かじり」シリーズは、話題を食べもの周辺に限定しているけれど、その根本精神は落語だと思う。「丸かじり」シリーズを読むたび、私の心はこの俗世への愛で満たされる。この世の中も捨てたもんじゃない、ばかばかしくおかしいことがたくさんある。普通の人の普通の心のおかしな動き。私自身の恥ずかしい心の動き。食べものと自分との関係。

そうだ、私もじっくり見よう。しっかり考えよう。無意識下の心のドラマをつかまえよう。

と心に誓うのだが……やっぱり根が鈍感なのかな、粗雑なのかな、一日も続かない。すぐに忘れてしまう。で、また「丸かじり」シリーズを読むことになるのだ。

やっぱり東海林さだおさんは、人間という生きものの生態観察のプロですね。ただ一点、「キンピラ族の旗手は誰だ」の章における「そういえばキムタクも顔が小さい」という指摘にだけは納得いかないものを感じたけれど、ね。

【この解説が収録されている書籍】
アメーバのように。私の本棚  / 中野 翠
アメーバのように。私の本棚
  • 著者:中野 翠
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:文庫(525ページ)
  • 発売日:2010-03-12
  • ISBN-10:4480426906
  • ISBN-13:978-4480426901
内容紹介:
世の中どう変わろうと、読み継がれていって欲しい本を熱く紹介。ここ20年間に書いた書評から選んだ「ベスト・オブ・中野書評」。文庫オリジナルの偏愛中野文学館。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

親子丼の丸かじり / 東海林 さだお
親子丼の丸かじり
  • 著者:東海林 さだお
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:文庫(227ページ)
  • ISBN-10:4167177501
  • ISBN-13:978-4167177508
内容紹介:
焼き鳥のタレ・シオ問題、名古屋の食べ物大考察、チャーシューメンを頼む人のドーダ!的態度、あお向けアイスモナカで放心のひととき、カステラの切断面について、スイカの丸剥きボール食い、さらに返還直前の香港でナマコ、鶏のアシまで食し胃袋も笑いも大充実。ショージ君の珍案、新・どんぶりに丼内も騒然。

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