書評
『母の恋文―谷川徹三・多喜子の手紙』(新潮社)
たまには恋文でも書いてみよう
「昔はよかった」なんて言い方は、いってる方の馬鹿さ加減を証明するだけだから、あまり使わないようにしているのだけれど、『母の恋文』(新潮社)を読んだ時には、思わず、「わあ、ぜったい昔の恋愛の方がよかったぜい」と唸ったのだった。『母の恋文』は詩人の谷川俊太郎さんが、両親にあたる谷川徹三・谷川(旧姓長田)多喜子さんの若き日の恋文を編集したもので、だいたい、ふたりは知り合って結婚するまでの二年間で五百通以上の手紙を送りあっているけど、別に遠距離恋愛してたわけじゃないんです。すごいでしょ。といったって、これはもう引用しないとわからないだろうから、参考例を二つ。ちなみに、この二通は、付き合いだして一年以上、出し合った手紙もすでに数百通、
しかし恋人よ胸をやく私の情熱は
いまは祈りまで浄められた。
魂の奥の奥に於て
私はあなたへのつながりを意識する、
そして――美しい夜の空の下に
あなたを想ふ心もこよひは安らかに満ち足りてゐます。(徹三から)
とか、
早く逢ひ度い逢ひ度い逢ひ度い。私逢ひ度くて死にさうです。徹三さんせめてお手紙でも下さればいゝのに。(多喜子から)
といった手紙を日常的に出すようになってずいぶんたってからのものです。はい。
……。私はかなり前から、あなたと一所にゐる時、時にあなたの唇に対する désir を感じる様になりました。私はその気持を私の恋愛の自然の成長として否定しませんでしたが、その désir の――といふより私のあなたに対する恋愛のローマン的要求(真剣な真実な意味での、――しかし現実主義者は私のその様な態度をおそらく笑ふでせう)から私は出来るだけその感情を抑へてゐました。そして私の全体としての爆発をまってゐました。理性的反省を伴った恋愛に於て、その様な爆発はさうしばしば来るものではありません。かつて一度私達が夕闇の中で蓄音機をきゝ、それから、あなたのピアノをきいてから二人並んで長椅子にかけてゐた時、私は身体のふるへる程その désir にとらへられてゐました。私は幾度も心の内で、今こそあなたに最初の唇をもとめる時だと思ひました。(谷川徹三より長田多喜子へ)
夕べどうしてあんなに、あなたとお別れするのがいやだったのでせう。もう淋しくって淋しくって可成おそくまであのまゝゐました。私達二人が逢ってゐるうちでも時間が動かないものならどんなに幸福でせう。……中略……。そして、私のたった一人の恋人なるあなたから最初の唇接をうける前に、正さんにそれを許してゐる事を、あなたにすまないと思ひました。その時私は正さんに、私はまだ、私の恋人にも唇を与へてゐないからと云って拒んだ事を記憶してゐます(勿論私は其頃まだ愛人は持ってゐなかったのです)。そしたらゲリープテよりブラザーが前(さき)なのは当然ぢゃないかと云ひました。私が恋してゐるとたしかに意識したのは、あなた於て初めてなのです。恐らく私の生涯であなたはたった一人のゲリープテで入来るでせう。(長田多喜子から谷川徹三へ)
悔しかったらキスするのにこれぐらい手間ひまかけてみろってか? それから、ゲリープテ(ドイツ語で恋人)にブラザーです。大正時代の女の子もお酒落だったんですね。みなさん、たまには恋文でも書きましょう!
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