書評
『桜の園』(岩波書店)
「概してロシアでは、事実の方面は恐ろしく貧弱なくせに、議論は恐ろしく豊富だ」とチェーホフはある人への手紙に記している。ドストエフスキーの作品群を議論の宝庫とすれば、チェーホフの作品群は事実の百科辞典である。患者の肉体に事実を求める医者の目は、革命前夜のロシア社会の病理をも見つめていた。見つめるだけでなく、医師として公衆衛生に貢献したりもした。若きレーニンもチェーホフを読み、このロシアで何をなすべきかを具体的に考えていた。社会主義思想やロシァ正教の原理を通じてではなく、医者として状況をあるがままに捉える態度は、文字通り散文的だ。自身、農奴階級の出身だったチェーホフは、貴族の没落やブルジョワの台頭、女性の社会進出、恋の不平等など、一九世紀末の世相、風俗を見つめながら、無数のコント、戯曲を書いてきた。コントや喜劇こそが社会改革運動に直結することをチェーホフはのちに証明したことになる。中国のチェーホフといえぱ、魯迅であることを思えばなおさらに。
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