書評

『王の身体 王の肖像』(筑摩書房)

  • 2018/05/23
王の身体 王の肖像 / 黒田 日出男
王の身体 王の肖像
  • 著者:黒田 日出男
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:文庫(419ページ)
  • ISBN:4480092005
内容紹介:
日本の中世・近世において「王」は、どのように感じられてきたのか。多くの絵画史料からその権力の歴史をひもとく。『後醍醐天皇像』中の冠・着物・道具から、後醍醐天皇が天子たることを強調しながら真言密教の菩薩像に似せて描かれていることを解き明かす。『江戸図屏風』に描かれた駿河大納言徳川忠長の屋敷門前の猿まわしの姿は、その後自刃する忠長の行く末を暗示していると考察する。天皇・将軍の肖像画から権威の表徴を明らかにし、風俗画に大名のお家事情を探る過程を、詳細に論述。先入観にとらわれず仔細に図像を分析し、興味深い史実を丹念に掘り起こした一冊。

「王」の図像の解釈学

「絵画史料」の積極的な読解にもとづく著者の日本中世・近世史論の試みは、本書『王の身体 王の肖像』(平凡社、一九九三。のち筑摩書房、二〇〇九)においてますますその輪郭を鮮やかなものにしつつある。『姿としぐさの中世史』(一九八六)が、その副題にいうように「絵図と絵巻の風景から」民衆の姿やしぐさやさまざまな場の意味を読み取ることの集積というかたちで成立したとすれば、本書は端的に「王」の図像をめぐる解釈学的試論の様相を帯びる。西洋の図像学(イコノグラフィー)という言葉が、もともと古銭学や肖像画などの領域における考古学的価値をもつ像の記述と評価に関して用いられたことを考えれば、著者の方法は、歴史的諸学の補助学とみなされたこの本来的な図像学に近似しているということができる。図像学的な歴史解釈学がようやく展開されつつあることを本書は実感させてくれるのだ。

「王」とはなによりも身体であり、身体的な存在である、というのが本書の出発点をなす。王の身体という表現から、エルンスト・H・カントーロヴィチの『王の二つの身体』(一九五七、邦訳、平凡社、一九九二。のち筑摩書房、二〇〇九)という大著を思わざるをえないが、著者はこの書物を読んでいなかったことを最初に断っている。書名の類似は偶然の一致にすぎないという。実際、カントーロヴィチの「自然的身体」と「政治的身体」との国王二体論という考え方は、本書にはまったく見られない。そうした視点がもし導入されていたら、本書の記述がかなり異なったものになった可能性もないわけではないが、カントーロヴィチ流の壮大な思弁がなじむかどうかは定かではない。

いずれにせよ、著者は、日食や月食に際して天皇の御所が蓆(むしろ)で裹(つつ)まれることが「王」の身体を妖光から守ることを意味すると見て、これを天皇の身体を穢れから遠ざけ清浄な状態に保つ「触穢」の観念に関係させるのだ。その際、中世における裹頭(かとう)ないし覆面姿の登場が「穢れ」意識の肥人化を示すものとして、さまざまな絵巻からとりわけ「僧兵」や「癩者」や「宿の長吏」の姿が採り出されて検討されるのだが、こうした顔を隠す作法が、しかし「王」(天皇や将軍)あるいは「王権」の身体性とどのように関連するのか、著者の記述には必ずしも判然としないところがあるように思う。ここでは「絵画史料」はもっぱら「僧兵」や「癩者」にのみ関わるのであり、肝腎の「王」そのものについては示されていない。それは文献資料にもとづく知識なのであり、「絵画史料」の読解を通した議論ではないのだ。だからこそ、思弁が要求されるともいえるわけで、その意味で「王」の身体性をめぐる議論は、文字どおり問題提起的なのである。今後のいっそうの展開が期待されるところである。

江戸図屏風の制作依頼者を推定する議論や、天下祭り絵巻の意味を解きほぐしていく議論などは、著者の図像解釈学の精緻な方法が明快なかたちで出ていて一挙に読める。しかし著者の面目が躍如とするのは、やはり肖像画をめぐる議論であろう。「肖像画と王権」と題する文章は、副題に「肖像画から歴史を読むために」というように、「絵画史料のなかで一番歴史ないし歴史学の研究材料とされてきた」肖像画を研究するにあたって注意しなければならぬ諸点を方法論的に整理したものであって、いうなればE・パノフスキーによるイコノロジーの説明に相当する。肖像画の「像主確定論的研究」を根本として、「作為」の問題や「肖似性」の問題に触れる著者の論述は、この種の研究のための礎石となるだろう。

実際、たとえばアンドレ・マルローなどに、日本の肖像画の恣意的な評価を委ねたままにしておいていいはずはないのだ。歴史学的史料としても美術史学的史料としても、あるいは美学的思弁のための史料としても、著者の主張する「肖像のデータベース構築」と「絵画史料としての肖像画・肖像彫刻の史料集の刊行」は、たしかに急務だと思われる。誰もが等しく当たることのできるこうした基本的な史料集の完成を、著者とともに願わずにはいられない。

「肖像画としての後醍醐天皇」なる文章は、著者のそうした肖像画読解への志向が最も端的なかたちで結実した刺戟的な論考たりえている。網野善彦『異形の王権』(一九八六)によってよく知られるようになったあの清浄光寺(遊行寺)に伝わる後醍醐像に関して、著者は「肝腎の肖像画そのものが何をどのように表現しているのか、具体的かつ十分な分析・読解がなされているとは言えないままのようなのである」と書く。「異形」性をあげつらうには、ディテールに注目しなければならないというわけだ。「この肖像画は、後醍醐を天子・金剛薩埵・天照皇大神として、王法・仏法・神祗の中心に位置付けている」というのが著者の論点だが、読解のプロセスはまさに精緻にして論理的であり、私のような素人にも十分に説得的である。

言葉と図像の関係を俎上にのせる著者の仕事は、まずもってその問題意識によって高く評価されるべきだろう。

【この書評が収録されている書籍】
イコノクリティック―審美渉猟 / 谷川 渥
イコノクリティック―審美渉猟
  • 著者:谷川 渥
  • 出版社:北宋社
  • 装丁:単行本(297ページ)
  • ISBN:489463032X
内容紹介:
美学と批評を架橋すること―絵画、彫刻、写真、映画、詩、小説など、多様な“美的表象”を渉猟する美学者の、アクチュアルな批評論集。美と知の地平を博捜するリヴレスク・バロック第二弾。フランス文学者・鹿島茂との“書痴”対談収録。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

王の身体 王の肖像 / 黒田 日出男
王の身体 王の肖像
  • 著者:黒田 日出男
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:文庫(419ページ)
  • ISBN:4480092005
内容紹介:
日本の中世・近世において「王」は、どのように感じられてきたのか。多くの絵画史料からその権力の歴史をひもとく。『後醍醐天皇像』中の冠・着物・道具から、後醍醐天皇が天子たることを強調しながら真言密教の菩薩像に似せて描かれていることを解き明かす。『江戸図屏風』に描かれた駿河大納言徳川忠長の屋敷門前の猿まわしの姿は、その後自刃する忠長の行く末を暗示していると考察する。天皇・将軍の肖像画から権威の表徴を明らかにし、風俗画に大名のお家事情を探る過程を、詳細に論述。先入観にとらわれず仔細に図像を分析し、興味深い史実を丹念に掘り起こした一冊。

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初出メディア

國文學(終刊)

國文學(終刊) 1993年11月臨時増刊号

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