「文字」と「組織」で探る壮大な文明史
たった一冊で全世界の人類史を語る本など、そうそう書けるものではない。古くはトインビーがそれをやった。文明史である。近年では、ハンチントンが「宗教」、トッドが「家族」、梅棹忠夫が「生態」を切り口に、人類を幾つかの「文明」にわけて人類史を語った。しばらく、そんな壮大な文明史を書く学者は日本に現われまいと思っていたが、本書が出た。著者はオスマン帝国の研究の鈴木董(ただし)氏。かつて私はこの人に会って驚いた。元来、法学部の出身で中東史が専門。ところが日本近世の武士の職制にも詳しかった。オスマン帝国を説明するにも「これは日本の児小姓(こごしょう)に近い」などと説明された。インド史、ヨーロッパ史、インカ史、何を尋ねても適切な答えがかえってきた。この国の文学部の歴史学は、国史・東洋史・西洋史に分断され、スケールの大きな歴史家は育ちにくい。本書は例外的な本だ。本書が人類を文明に切り分けるメスは2本ある。文字と組織だ。人類の文字は、発生・伝播(でんぱ)でいえば、フェニキア系文字・アラム系文字・ブラフミー系文字・漢字派生文字。中南米の文字をいれれば5系統あるという。人類の世界は使用する文字で、ラテン文字、ギリシャ・キリル文字、アラビア文字、ブラフミー文字(梵字(ぼんじ))、漢字の5大文字世界にわけられる。著者はこれらを「文字圏・文字世界」とよんで分析する。もうひとつ、文明の大切な要素に「組織」をあげる。人類の生き物としての特徴は、目的達成のための協同のシステム=組織をもち、これを大規模化・複雑化させた点にある。背景に文字や宗教をもって目的達成の強大な組織マシンを作る。世界にどんな文字圏が生まれ、そこでは、どんな原理に基づいた組織が生まれ、興亡したかが叙述されている。
現代に続く、5大文字世界は8世紀にはできていた。13世紀に、モンゴルの大征服があり、旧大陸の5大文字世界はすべてに、その影響があった。以後、15世紀に、西洋世界による「大航海時代」がはじまるまで、「アジアの圧倒的比較優位の時代」が続いた。これを変えたのは、18世紀末までに、西欧が軍事組織・技術で他の文化世界を圧倒したからだ。国王に権力を集中させ官僚制の組織を高度化した。経済でも、化石燃料を利用したエンジンを作り出し、これで機械を動かして、工場で物資を大量生産しはじめた。これら機械や工場などの資本設備を作るための資金は「株式会社制度」でもって不特定多数から出資者を募って調達した。こんな組織制度は、他の文化世界はもっていない。全世界が西洋をまねしなければ太刀打ちできなくなり、西欧世界のありようがグローバルスタンダードになりはじめた。諸「文字世界」はこの西洋の衝撃をうけて変わり始める。西洋に地理的に近かったインドは英国に植民地化された。東南アジアの梵字世界でも、アラビア文字世界のオスマン帝国でも、西洋化の改革がはじまった。本書の巻末に、世界中の各時代の君主・指導者の服装がならべてあるが、西洋化がなされていった過程が、よくわかる。
そして、21世紀は再び漢字・梵字世界が優位となる。彼らが革新を起こしたのではなく人口が多いためだ。2060年の予想GDP世界シェアでは中国28%インド18%米国16%EU9%日本3%。漢字から派生した、我らの、かな文字世界は半世紀でGDP世界第2位から、ここまで転落する。人の幸福はGDPによらないが、こういう本で、世界史の潮流を知り、大局観をもっておいたほうがいい。