政治力学にも切りこむ
冒頭の「翻訳ってなんだろう?」という小見出しの語調、原書の平明な英語からするに、高校生位からの一般読者に向けた入門解説書だろう。臆するなかれ。翻訳は、(1)言語を交わらせる。(2)翻訳はいつも外交ぶくみだ。(3)あらゆる翻訳はクラウド翻訳だ。この三つを覚えておくと読みやすい。さあ、若き読者よ、ページをひらきましょう。
もう一度、翻訳ってなんだろう? 思い切りやさしい例を引く。遠足でさんざんな目にあって疲れ切った十歳のイギリス人の男児は、べそをかきながら、なんと言うだろう? I just want to go home!(うち帰るー!)と言うのではないか。じゃあ、イタリア人の十歳男子だったら? と著者は問いかける。homeに対応するイタリア語はcasaだと辞書は教えるだろう。しかし、実際その状況に陥ったら、イタリアの男の子は、voglio tornare dalla mamma!(ママのところ帰る!)と言うのではないか、と著者は言う。
これも「翻訳」なのだ。「ある状況において交換可能な語を見つける」こと。手紙の締め括(くく)りのフレーズを思い浮かべてほしい。英語だと、sincerely yoursなんていう。でも、フランス語ならsincerity(忠実)とは関係ないbien 〓 vous、中国語なら「此致、敬礼」となるだろう。
いやいや、しかし待て。sconeというイギリスの焼き菓子がある。これを訳せますか? 簡単だと思うかもしれないが、状況に応じて訳すのはなかなか大変だ。ドイツ語、フランス語、ギリシャ語の辞書にはずばりの訳語はなく、「小さくてやわらかいケーキ、紅茶といっしょに食べることが多い」などと説明されている。こんな小さな語でも膨大な歴史と文化を背負っていることがわかる例だ。
本書は、広告、アイコン、コミックなどのビジュアルイメージの「翻訳」についても図入りで詳説する。漫画「風の谷のナウシカ」で、コマのふきだしが八角形やギザギザになるのは、なにを表現しているだろう? ここから著者は詩の「かたち」の重要性に踏み込む。ダンテの『神曲』と「ナウシカ」をさらりと論じあわせてくれるスリル。そして、議論は翻訳史数千年余りを分断してきた「直訳と意訳」、「異化と同化」、シュライアマハーに言わせれば、「読者を著者に近づけるか、著者を読者に近づけるか」という問題へ! ああ、この世の翻訳はずっとずっとこの対抗概念に引き裂かれてきたのだ。
翻訳は解釈とイコールではないと著者は言う。「翻訳は解釈を組みこむ--そして解釈をひき起こす。そして解釈のあるところ、力がある」として、翻訳の政治力学にも切りこんでいく。「原文になにも足さない引かない」という日本に蔓延(まんえん)する「翻訳者黒子説」が、いかに呑気(のんき)な幻想であるかわかるだろう。
宗教に関わる翻訳の項目も重要だ。聖典の翻訳など「汚染」とさえ考えられていた十六世紀初頭、英訳者のティンダルはトマス・モアの攻撃にあう。誤訳指摘ではなく、それまでcharityと訳されていた語をloveと訳すなど、信者の語法に「近づけて」訳したためだ。聖職者と教会の権威を守るためには、聖典が難解である必要があったのだ。これが、翻訳が行使する政治力である。
本書は、「翻訳は差異を橋わたしするだけでなく、その存在をあばき、楽しませもする。そう、バベルは呪いでもあり、祝福でもあったのだ」と締められる。言語を有した人類は、呪わしい祝福の道を歩むしかない。本書をガイドブックにどうぞ!