後書き
『サー・ガウェインと緑の騎士:トールキンのアーサー王物語』(原書房)
『指輪物語』『ホビット』を書いた、J・R・R・トールキン。ファンタジー作家として有名なトールキンですが、言語学を専門とする大学教授でもありました。いや、作家よりも研究者のほうが本職だったと言ってよいでしょう。『指輪物語』などのユニークかつ巨大な世界観は、古英語ほかさまざまな言語で書かれた神話や伝説の地道な研究を土台とするものだったのです。
アーサー王物語のひとつ「サー・ガウェインと緑の騎士」は、トールキンがその学問的知識を総動員し、同時に、豊かに美しく再生させた傑作です。これに2作品を加えた単行本はながらく入手不可能となっていました。井辻朱美氏が「トールキンがこよなく愛した物語が端正な日本語で甦る」と評したこの本が、16年ぶりに新装版刊行となりました。訳者山本史郎氏の「あとがき」をここに特別公開します。
どのような意図のもとに、いかなる経緯でこれらの「現代語訳」が作られ、最終的にトールキンの死後に遺稿として残されたかは、ご子息のクリストファー・トールキンによる解説に詳しく書かれているので、そちらをご覧いただきたいと思いますが、「ファンタジー作家」のトールキンは、実はオクスフォード大学の教授であり、ブリテン島でかつて用いられていた古い英語、それで書かれた文学などが専門であったので、まさにこの「現代語訳」において本来の面目を発揮しているといえるでしょう。
まずは、個々の作品がどういうものなのか、ごく簡単にご紹介しておきましょう。
『サー・ガウェインと緑の騎士』は題名からも想像がつくように、アーサー王物語の一つです。大雑把にいって、アーサー王物語というのは、アーサー王の宮廷の人々をめぐって11世紀以来、ヨーロッパ中のさまざまな作家によって書かれてきた多数の作品の全体であるということができます。
古い作品で有名なものとしては、フランスではクレティアン・ド・トロワによる『荷車の騎士』、『聖杯の物語』などの作品、ドイツではゴットフリート・フォン・シュトラスブルグの『トリスタン』、ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの『パルツィファル』などをあげることができるでしょう。
これに対して本家本元のイギリスにおいては、トマス・マロリーによる『アーサー王の死』と並んで重要な作品とされるのが、この作者不詳の『サー・ガウェインと緑の騎士』です。
しかしこれら二つの作品はきわめて対照的です。マロリーの作品がアーサー王伝説のさまざまな物語を集大成した大作であり、雄渾で古雅な叙事詩のような味わいが特徴であるのに比して、『ガウェイン』のほうはきわめて緊密に構成され、主人公の心理もよく描き込まれた、読みごたえのある小品です。
このように歴史的に重要な作品であり、そのものとしても優れた作品であるので、イギリスではトールキンばかりでなく、幾種類の現代語訳が存在しますが、どういうわけか今まで日本では多数の読者が読めるかたちでは紹介されていませんでした。
『真珠(パール)』は一種の挽歌です。幼くして亡くなった娘のことが忘れられない父親が、草むらでふと眠り込んでしまい、その時に見た夢を語るという、中世イギリスの文学作品ではおきまりのパターンを用いながら、その無念な気持ちをうたっている詩です。
トールキンの解説に書かれているとおり、キリスト教の教義の解説のような面もたしかにありますが、それよりも娘を思う父親の思いが切々と伝わってくる、とても美しい作品です。
『サー・オルフェオ』はギリシア神話のオルフェウスの物語を、妖精の住むブリテン島の土壌に移植したものです。もとの神話では、オルフェウスは亡くなった妻の後を追って冥界に降り、竪琴で妙なる曲を奏でることによって冥界の王ハーデスから妻を連れ帰る許可を得ますが、地上に出るまで振り返ってはならないという命令に背いたため、永久に妻を失うという話です。
これに対して本書の『サー・オルフェオ』では……筋を明かしてしまっては読む愉しみが減りますのでさしひかえますが、背景ばかりか、筋立てまでもが、もとの物語とはまったく異なった、いかにもイギリス的な話になっているとだけ申し上げておきましょう。
これまで数多くの作品を翻訳してきましたが、そのなかでも、この本はわたしにとってなにものにも代えがたい感動をあたえてくれました。
かつて東京大学でつとめていたとき、同僚からお聞きした話です。
彼女はイギリス中世の文学が専門です。教室で中世の詩を授業のなかで取り上げたとき、本書に収録されている「真珠(パール)」を学生に読ませて下さったのだそうです。そのとき、授業が終わったあとで二人の学生がこの先生のもとまできました。
そしてそのうちの一人、理系の男子学生が一言「すげえ、きれいな詩だな!」と言いました。もう一人は文系の女子学生でしたが、「人間の生と死について、こんなに深く考えさせられたのは、生まれてはじめてです」と言ったそうです。
「真珠」の原作は、「サー・ガウェインと緑の騎士」と同じ詩人によって書かれたと考えられていますが、おそらく14世紀の人らしいということを除いて、名前や人生の詳細は知られていません。この「真珠」という作品は、古い英語(ミドル・イングリッシュ)で書かれた傑作として有名ですが、それをトールキンがほかのいくつかの作品とともに現代の英語に訳し、それを今からほぼ20年前、こんどは日本語に訳す機会がわたしにあたえられたということになります。
このように、600年以上の時をへだて、トールキンからわたしへと異なる言語をなかだちとして、遠く異郷に移された詩が、その土地の感受性豊かな読者の心を大きく揺さぶることができたのです。
なんだか奇跡のような話ですが、すぐれた文学作品の力とはそのようなものなのかと感動するとともに、そのような時と空間そして言語を超えた、心と心の感応というすばらしい出来事を実現する手助けができたことを、すなおに喜びたいと思います。
「サー・ガウェイン」も「真珠」も、イギリス文学を学んだ人なら知らない人はいないほどの傑作です。日本語に訳すに際しては、トールキンのすばらしい現代語訳を前にして、原作の韻律構造を可能なかぎり尊重し、随所にみられるトールキンらしい味つけをこわすことなく、しかも音の響き、リズムのよい日本語に移しかえることをめざしました。20年の歳月をへて読みなおしてみても、そのときの苦心や愉しさが、懐かしさの感情とともに蘇ってきます。
新たな版をえて、新たな読者の皆様の胸に響くことができればと思います。
[書き手]山本史郎(昭和女子大学特命教授)
アーサー王物語のひとつ「サー・ガウェインと緑の騎士」は、トールキンがその学問的知識を総動員し、同時に、豊かに美しく再生させた傑作です。これに2作品を加えた単行本はながらく入手不可能となっていました。井辻朱美氏が「トールキンがこよなく愛した物語が端正な日本語で甦る」と評したこの本が、16年ぶりに新装版刊行となりました。訳者山本史郎氏の「あとがき」をここに特別公開します。
600年の時空を超えて甦る傑作
この本は『サー・ガウェインと緑の騎士』、『真珠(パール)』、『サー・オルフェオ』というイギリス中世に書かれた三つの物語を、『指輪物語』や『ホビット』の作者として有名なトールキンが現代の英語に訳したものを、さらに日本語に移したものです。どのような意図のもとに、いかなる経緯でこれらの「現代語訳」が作られ、最終的にトールキンの死後に遺稿として残されたかは、ご子息のクリストファー・トールキンによる解説に詳しく書かれているので、そちらをご覧いただきたいと思いますが、「ファンタジー作家」のトールキンは、実はオクスフォード大学の教授であり、ブリテン島でかつて用いられていた古い英語、それで書かれた文学などが専門であったので、まさにこの「現代語訳」において本来の面目を発揮しているといえるでしょう。
まずは、個々の作品がどういうものなのか、ごく簡単にご紹介しておきましょう。
『サー・ガウェインと緑の騎士』は題名からも想像がつくように、アーサー王物語の一つです。大雑把にいって、アーサー王物語というのは、アーサー王の宮廷の人々をめぐって11世紀以来、ヨーロッパ中のさまざまな作家によって書かれてきた多数の作品の全体であるということができます。
古い作品で有名なものとしては、フランスではクレティアン・ド・トロワによる『荷車の騎士』、『聖杯の物語』などの作品、ドイツではゴットフリート・フォン・シュトラスブルグの『トリスタン』、ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの『パルツィファル』などをあげることができるでしょう。
これに対して本家本元のイギリスにおいては、トマス・マロリーによる『アーサー王の死』と並んで重要な作品とされるのが、この作者不詳の『サー・ガウェインと緑の騎士』です。
しかしこれら二つの作品はきわめて対照的です。マロリーの作品がアーサー王伝説のさまざまな物語を集大成した大作であり、雄渾で古雅な叙事詩のような味わいが特徴であるのに比して、『ガウェイン』のほうはきわめて緊密に構成され、主人公の心理もよく描き込まれた、読みごたえのある小品です。
このように歴史的に重要な作品であり、そのものとしても優れた作品であるので、イギリスではトールキンばかりでなく、幾種類の現代語訳が存在しますが、どういうわけか今まで日本では多数の読者が読めるかたちでは紹介されていませんでした。
『真珠(パール)』は一種の挽歌です。幼くして亡くなった娘のことが忘れられない父親が、草むらでふと眠り込んでしまい、その時に見た夢を語るという、中世イギリスの文学作品ではおきまりのパターンを用いながら、その無念な気持ちをうたっている詩です。
トールキンの解説に書かれているとおり、キリスト教の教義の解説のような面もたしかにありますが、それよりも娘を思う父親の思いが切々と伝わってくる、とても美しい作品です。
『サー・オルフェオ』はギリシア神話のオルフェウスの物語を、妖精の住むブリテン島の土壌に移植したものです。もとの神話では、オルフェウスは亡くなった妻の後を追って冥界に降り、竪琴で妙なる曲を奏でることによって冥界の王ハーデスから妻を連れ帰る許可を得ますが、地上に出るまで振り返ってはならないという命令に背いたため、永久に妻を失うという話です。
これに対して本書の『サー・オルフェオ』では……筋を明かしてしまっては読む愉しみが減りますのでさしひかえますが、背景ばかりか、筋立てまでもが、もとの物語とはまったく異なった、いかにもイギリス的な話になっているとだけ申し上げておきましょう。
これまで数多くの作品を翻訳してきましたが、そのなかでも、この本はわたしにとってなにものにも代えがたい感動をあたえてくれました。
かつて東京大学でつとめていたとき、同僚からお聞きした話です。
彼女はイギリス中世の文学が専門です。教室で中世の詩を授業のなかで取り上げたとき、本書に収録されている「真珠(パール)」を学生に読ませて下さったのだそうです。そのとき、授業が終わったあとで二人の学生がこの先生のもとまできました。
そしてそのうちの一人、理系の男子学生が一言「すげえ、きれいな詩だな!」と言いました。もう一人は文系の女子学生でしたが、「人間の生と死について、こんなに深く考えさせられたのは、生まれてはじめてです」と言ったそうです。
「真珠」の原作は、「サー・ガウェインと緑の騎士」と同じ詩人によって書かれたと考えられていますが、おそらく14世紀の人らしいということを除いて、名前や人生の詳細は知られていません。この「真珠」という作品は、古い英語(ミドル・イングリッシュ)で書かれた傑作として有名ですが、それをトールキンがほかのいくつかの作品とともに現代の英語に訳し、それを今からほぼ20年前、こんどは日本語に訳す機会がわたしにあたえられたということになります。
このように、600年以上の時をへだて、トールキンからわたしへと異なる言語をなかだちとして、遠く異郷に移された詩が、その土地の感受性豊かな読者の心を大きく揺さぶることができたのです。
なんだか奇跡のような話ですが、すぐれた文学作品の力とはそのようなものなのかと感動するとともに、そのような時と空間そして言語を超えた、心と心の感応というすばらしい出来事を実現する手助けができたことを、すなおに喜びたいと思います。
「サー・ガウェイン」も「真珠」も、イギリス文学を学んだ人なら知らない人はいないほどの傑作です。日本語に訳すに際しては、トールキンのすばらしい現代語訳を前にして、原作の韻律構造を可能なかぎり尊重し、随所にみられるトールキンらしい味つけをこわすことなく、しかも音の響き、リズムのよい日本語に移しかえることをめざしました。20年の歳月をへて読みなおしてみても、そのときの苦心や愉しさが、懐かしさの感情とともに蘇ってきます。
新たな版をえて、新たな読者の皆様の胸に響くことができればと思います。
[書き手]山本史郎(昭和女子大学特命教授)
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