書評
『ふつうがえらい』(新潮社)
ジーパンで闊歩する気分
いってみれば雑文集。だけど貫徹するものがある。『ふつうがえらい』(佐野洋子、マガジンハウス)。洗いざらしのジーパンでずんずん歩く爽快さ。たっぷりした女の強さ。恋愛、結婚、出産、子育て、また恋愛。何を語ってもすこぶる後味がよろしい。「だからそのへんのネエチャン、あんたら源氏物語はアニメで充分なのよ」といっても嫌味がない。なにせ「長屋育ち」だから。
「わかんない本は何回も読んで少しずつわかって来る。少しずつわかって来た時、やっぱ何もわかんないんだという事がしみじみわかって謙虚になれる」。こんな姉さんがいたらな。
「背が一七〇センチ以上は欲しいわねとおっしゃる方もいる。馬鹿ね。でっかい男がやがてじいさんになって寝たきりになってごらん。体をゴロンところがすのだって大変よ」。すごいリアリズム。「ブスということばがなくなっても、美人じゃない我及び同志が消滅するわけでもないのだ……。あーつかれた。同志よ、我が身をはげますってつかれるよね」。やさしいねえ。
「でも、ああみよちゃん。あなたの負けよ、出刃包丁が正しい。あの人は私のものだって追いつめるのが正しい、たとえそれで男を失ったとしてもその女が正しい」。この激しさ。
「特殊な関係の男の助手席に乗るのはなかなかいい気分なものである」と悦にいってたくせに、男が道に迷うと、「あんたばかじゃない。へーここが駅ですか。駅がじゃがいも畑なわけ」と逆上する。なんで男って道を聞きたがらないんだろ。「男って、地図という観念とか抽象化された世界に、現実を近づけたいのね」。ナットク、ナットク。
こんなに文章がうまい人が「私は本業は絵本作りである」なんていわないでほしい。ま、本業なら「私はのたうち回って喜んだ」とは書かない、いえ書けないだろうけど。
いっしょに暮らす「インテリ文化人」氏への愛がひしひし。「若き人よ恋は御身等の専有ならじ五十じの恋の深さを知らずや」。福田英子の一首を送ろう。
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