非正規滞在者めぐる理不尽な実態
本書は、日本に在留する外国人を取り巻く様々な問題、ことに在留資格が得られないことで苦境に陥っている人々に焦点を当てたルポルタージュだ。外国人支援のための団体を主宰する著者が、実際に見聞きした事例をもとに柔らかい語り口で一般向けに書き下ろした本だけれど、書かれている内容は衝撃的で胸を抉(えぐ)る。本書で扱われるエピソードの多くは、出入国在留管理庁(入管)が所管する「収容所」を舞台にしている。
入管は、外国人の出入国管理、在留管理、難民認定などを行う機関で、ここで外国籍の人々はビザの更新や変更などの手続きを行う。「この建物の一部には非正規滞在者の収容所というものが存在」することを、知っている人は多くないだろう。
一度収容されればいつ出られるかわかりません。半年なのか、1年なのか、3年なのか。/ここでは、いつ自由になれるのかもわからないことが被収容者にとって最大の苦しみなのです。
収容されている「非正規滞在者」とは、正規のビザなしに日本にいる外国人のことだが、なぜそんな事態に陥っているのか。
誰でも考えつくのは、「非正規滞在」が問題なら、収容所なんかにいないで出身国に帰ればいい、ということだろう。しかし、本紙、毎日新聞の今月10日の社説が指摘したように、「退去命令を受けた人の大半は出国する」のであり、「送還を拒むのは帰国すると危険があったり、日本でできた家族と離れたりするからだろう」と思われる。そのあたりの事情を、本書は実例を多く出して解説している。
スリランカ人のウッディさんは、留学生として20年も前に来日し、日本語も堪能。日本にいる間に母国の情勢が悪くなり危険で帰れなくなったので難民申請をした。ところがそれを却下され、「収容所」に入れられてしまう。
日本は難民申請が認定される割合が申請者の1%以下と、世界の先進国に比べて桁外れに低い。他国では「難民」とされる人を日本だけの基準で認めないのは、国連難民条約締結国の責任に鑑(かんが)みてどうなのか。
いちばん理不尽なのは、日本で育つ、外国にルーツのある子供たちの例だ。両親の選択によって、幼いころに母国を離れ日本の地を踏む子供たち。あるいは、日本で生まれる子供たち。この子供たちも、「非正規滞在者」となってしまう。「仮放免」(「収容」はしないけれど、就労や居住県外への移動の自由がなく、定期的に入管に出頭)という不安定な身分しか与えられず、「母国に帰る準備以外は行動してほしくない」「高校に行っても、仮放免のあなたには意味がない」と言われる。見たこともなく言葉も話せない「母国」に帰れとは。進学してもその先に思い描ける就職などの未来がないとは。しかも、成人した彼らはいきなり「収容」されてしまうリスクすらある。彼らになんの罪があるというのだろう。
とりわけショックなのは、「収容」の実態だ。常用する薬を取り上げられ、苦痛を訴えても病院になかなか連れて行ってもらえず、家族との面会もアクリル板ごしだ。先日国会で取り上げられた、女性収容者の独房のトイレに監視カメラがある件も脳裏をよぎった。
最近、入管収容者による抗議のハンストや、「餓死」した収容者の事件が報道された。本書にはそのケースは扱われていないが、いま何が起こっているのか、事件の背景を知るうえで参考になった。来週からは「人権週間」だそうだが、この国の「人権」について深く考えさせられた。