書評
『歴史のなかの大地動乱――奈良・平安の地震と天皇』(岩波書店)
奈良・平安の地震災害から古代政治史に迫る
昨年に起きた東日本大震災は、歴史学の研究にも大きな衝撃をあたえた(ALLREVIEWS事務局注:本書評執筆時期は2012年)。これまで地震関係や津波関係の史料を見ても、多くはその信憑性に疑問を投げかけ、真剣に検討することが薄かったのであるが、改めて史料に正面から向き合うようになったのである。特に貞観(じょうがん)十一年(八六九)に起き、陸奥地方を襲った貞観の地震・津波は、調べてゆくと、まさに東日本大震災と同規模であったことがわかり、衝撃を与えたのである。自然科学系の地震研究者においては、早くから注目されてきていたのであるから、もっと深く検討すべきであったという反省を、よく聞いたものである。
地震研究の必要性を早くから認識していた本書の著者も、その一人であっただけに、反省の思いが強く、そこから貞観地震だけにとどまらず、八・九世紀の二百年間には、多くの地震や噴火が起きていることに注目してこの時代を大地動乱の時代としてその歴史的な意味を探った。
この時代は政治的には律令制が導入された華やかな時代とされているが、地球規模で「中世温暖期」に相当し、気候の変化も著しかった。そこから王朝の政治史や王権神話に注目してきた著者が、この時代の政治史を地震などの「大地動乱」に関連づけて描いたのが本書にほかならない。
「この時期の国家が、東北アジアを襲った『大地動乱・温暖化・パンデミック』という自然条件に直面したことは、これまでの歴史学では十分に考慮されてはこなかった」という反省から構想したものである。
その最初に、密接な関連があるとしてとりあげられているのが、長屋王による「天譴(てんけん)思想」の大陸からの導入である。天は王の不徳を譴責するために天変地異を起こすというこの思想とともに、天変地異の責任は王ひとりにある、ということから頻発する地震への対策が徳政へと向けられていったとする。
またこの長屋王が政治的に失脚した際に生じたのが怨霊思想であったとして、これ以後の政治の流れを主に地震・噴火にともなう徳政の展開と怨霊思想にそって描いてゆく。
副題に「奈良・平安の地震と天皇」とあるように、次々と起こる地震とそれに関わる天皇の動きを関連づけて描きだしてゆく。著者の強い思いに引っ張られて読むことになるが、この部分はもう一つ叙述に工夫があってもよかったかもしれない。
貞観の地震・津波は、この「大地動乱」の時代の最終の段階に位置している。ただこれは「貞観津波」と称すべきではなく、貞観が中国の年号にもあることから、「陸奥海溝津波」と称すべきであるといい、時の天皇である清和天皇の動きや、同時期からはじまる祇園の御霊会(ごりょうえ)との関わりなどを詳述している。
古代に始まる神話の時代はここに終焉を迎えるとして、その神話の構造は、雷神・地震神・火山神の三位一体として捉えられるべきものと指摘し、それがこの時期を境にして死霊・祟り神・疫神へと変換していったと見なし、こうして「千代に八千代に」の天皇制が安定化してくると説く。
実に著者の思いが熱く伝わってくる本となっている。語られている天皇にも好き嫌いがあるらしく、聖武天皇については好感度が高く、桓武天皇には冷たいなど、著者の筆鋒(ひっぽう)の矛先もまた興味深い。
数々の重要な指摘に満ちている本であるが、ただ、さまざまな指摘が輻湊(ふくそう)して語られているためわかりにくい部分の多いのがやや残念な点である。
ALL REVIEWSをフォローする


































