日本の映画界は、塚本晋也が自主製作でしかこの映画を作れなかった事実を恥じよ
この夏もっとも見るべき映画 / 執念で作り上げた渾身の一撃 /『野火』にまつわる副読本
(※ALLREVIEWS事務局注:本書評執筆時期は2015年)
『私の少女』のヤン・ヨンヒ監督は「『野火』にお金を出さなかった製作会社は恥じるべきです」と言ったという。ぼくもその言葉には120パーセント同意する。塚本晋也の『野火』は2015年の夏に公開されるもっとも重要な映画である。もっとも面白い映画ではないかもしれないし、最高の映画でもないかもしれない。だが、もっとも観るべき映画であるのはまちがいない。この映画を、塚本晋也は自主製作で作ったのだ。
高校時代にはじめて大岡昇平の『野火』を読んで以来、塚本晋也の中にはずっとこの小説があった。1999年、フランスのTV局に企画として提案するが、予算の都合で折りあわずに終わる。2005年、釜山映画祭の企画コンペに持ち込むが、やはり映画は作られなかった。興味を持った会社もあったが、いずれも巨額な予算(6億円)に恐れをなしたのである。2012年、傑作『KOTOKO』の次回作として、塚本は3度映画化を考えはじめる。
具体的な当てもないままに書きはじめた脚本が完成し、それでもなお製作会社は見つからない。それでも映画化をあきらめないのが塚本晋也の恐ろしいところである。塚本はふたつの選択肢を考えた。ひとつはアニメ映画化である。冗談のようだが、本気でアニメを作るつもりだったらしい。もうひとつはたったひとりで撮ること。カメラを持って単身フィリピンに渡り、主人公の完全な主観映画として撮る。カメラを三脚に据え、録画ボタンを押してからその前で演技する。最終的にはそんなかたちになったとしても作るつもりだったという。この執念。
結局、Twitterで募集したボランティアと、中田商店で購入したたった1着の日本軍軍服によって、塚本晋也はこの映画を作りあげてしまうのである。まことに驚くべき話だ。そしてまったくもって嘆かわしい話である。塚本晋也は、今の日本で数少ない、監督の名前だけで海外に作品が売れる映画監督である。その塚本晋也をもってしても、この映画は自主製作で作らなければならなかったのだ。
結果として言えば、塚本晋也は成功した(当たり前である。相手は塚本晋也なのだ)。『野火』は戦記文学の最良の映画化となったのみならず、塚本映画の集大成ともなったからである。資本が集まっていたら、ここまで個人的な映画にはなりようがなかった(だがなお、この企画に資金が集まらなかったのは恥というよりない)。もともとたったひとりの自主製作で『鉄男』(89年)を作るところからはじめた塚本晋也は、過去作で培ってきたものすべてをここに注ぎこんだ。それは『鉄男』の過激な人間破壊であり、『TOKYO FIST』(95年)の極限における肉体性であり、夢幻世界であり、圧倒的な野生の力である。その力はちっぽけな人間を圧倒し、押しつぶすほどのものだ。だが、人間の中にもやはり世界に対抗する野生は潜んでいる。それが爆発するときが、塚本映画の輝く瞬間なのである。
『塚本晋也×野火』は映画『野火』の副読本である。塚本晋也によるシナリオ再録を中心に、インタビューと宮台真司との対談。加えて宮台真司による長文の評論を中心に、ヤン・ヨンヒ、小島秀夫、島田雅彦らの評が寄せられている。歴史的バックグラウンドの説明、さらには塚本の絵コンテも一部再録されている。塚本晋也の人柄がよく出た、可愛らしい絵柄だ。
さまざまな要素を集めた本ではあるが、残念ながら『野火』の副読本としては物足りない。映画がシンプルに豊かすぎ、評論がそこに新たなものを付け加えるには至らないからだ(その意味では『マッドマックス 怒りのデス・ロード』に近いものがあるかもしれない)。とりわけ宮台真司のナルシスティックな文章には苛立ちしか沸いてこない。やはり映画『野火』については塚本晋也の言葉を聞かなければならない。どうしてもここにほしかったのは映画の撮影日誌である。塚本晋也がいかにして皇軍兵士・田村に化身し、この世界とひとつになっていく過程こそ、この映画でもっとも興味深いものであるはずだ。なぜなら『野火』は塚本晋也そのものなのだから。