解説

『初期散文集』(Planeta Pub Corp)

  • 2020/07/27
Primeras Letras: / Paz, Octavio
Primeras Letras:
  • 著者:Paz, Octavio
  • 出版社:Planeta Pub Corp
  • 装丁:ペーパーバック(422ページ)
  • 発売日:1995-09-01
  • ISBN-10:8432205966
  • ISBN-13:978-8432205965
オクタビオ・パスは、ボルヘス追悼の文の中で、このアルゼンチンの詩人がきちんと自己評価できていなかったと書いていたが、その言葉は当然ながらパス自身にはね返ってくる。もちろん彼はそれを承知でボルヘスを批評しているわけで、このきっぷのよさ、いさぎよさが彼の一つの魅力になっている。それは自らの美学とモラルに対する揺るぎのない信頼から生まれるものなのだろうが、ぼくは以前から彼のこの美学とモラルが一体いつできあがったのかを知りたいと思っていた。だが彼は、処女詩集『野生の月』(一九三三)やスペイン戦争をモチーフにした『彼らを通すな!』(一九三七)を後のアンソロジーには入れないことでも分かるように、これまで若書きや自分の批評が認めない作品を本にすることは避けてきた。ことに散文の場合、『孤独の迷宮』によって衝撃的なデビューをする以前のものは、『木に倚りて魚を求む』(一九五七)に収録されたわずか数篇をのぞき、我々の目に触れる機会はほとんどなかった。

パスのバイオグラフィーには彼が一九三〇年代末から四〇年代初めにかけて関わっていた『工房』や『蕩児』といった名前が出てくる。それらのいくつかは現在復刻版が出ているので、当時の彼の活動状況を断片的に知ることはできる。だが不十分であることはいうまでもない。詩の方は十四歳のときに書き始めているようだが、散文の発表は一九三一年、名門、サン・イルデフォンソ国立予備校入学とともに始まる。パス、十七歳のときである。

メキシコの一九三〇年代から四〇年代といえば、壁画運動に象徴される文化的ナショナリズム、そしてカルデナス政権による石油産業国有化に象徴される政治的ナショナリズムが高揚した時期である。さらに外に目を向ければスペイン戦争が起き、共和派知識人がメキシコを亡命地とし、また亡命中のトロツキーが暗殺されるといった事件が相継いだ。この混沌とした時代にパスが文学的そして政治的出発をしていることの重要性は、分かっていながら、当時の作品はもちろん正確なバイオグラフィーがないために、我々は彼を扱った評論の中の断片的引用やたとえばアルフレード・ロッジアーノによる不正確なバイオグラフィーに頼るという、歯がゆい思いをさせられてきた。

だが、最近刊行されたパスの『初期散文集』は、こうした欲求不満に大きく答えてくれるばかりか、この詩人=批評家が芸術と歴史を見分けて評価を下す確かな目を、すでに十代にして備えていたという事実を明らかにしている(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は1989年)。彼は自分の生に対する姿勢をシュルレアリスムに学んだと機会あるごとに言ってきたが、それは彼自身の裡にあったのだということを、我々は収録されたテキストを通して、また編者であるエンリコ・マリオ・サンティの解説によって、知ることができるだろう。

編者は米国のジョージタウン大学に勤務する研究者らしく、序文の中で、ボストンの出版社にパスの入門書を書くことを依頼されたのがきっかけで、彼に関する研究を始めたという。編者としては、集めたテキストはすべて収録したかったようだ。それが実現していればとてつもなく大きな本となり、資料としてきわめて価値の高いものとなっただろう。しかしパスはあくまで自分が許容できるテキストに限ることを主張し、その結果、アンソロジーという形をとることになったが、文学性を常に意識するパスのチェックが入ったことで、初期のものとはいえさすがにレヴェルの高い作品が並んでいる。

パス自身の序によれば、初期作品を網羅する本を作ることに最初は抵抗したという。「半世紀前の新聞や雑誌のページに埋もれていたテキスト」を「なぜ、何のために」今、公にしなければならないのか、というわけだ。いずれにせよ、厳しい条件をつけることでパスが妥協したおかげで、若き日の彼の世界が我々の前に現れることになった。

もっとも古いのは、一九三一年十二月発行の雑誌「バランダル」に載った「芸術家のモラル」というエッセーだ。「バランダル」は彼が国立予備校で級友の協力を得て作った文芸誌で、そのエッセーは、七号まで続いた雑誌の第五号に載っている。それはこういう書き出しで始まる。

この文章の目的は、芸術の本質を問題にすることではなく、もっと低次の問題に向けられている。芸術それ自体が何であるのかを、宗教、愛国心、理論に対する情熱といった 他の文化形態から引き離して、美学的に考察しようというのではない。

パスはここでいわゆる純粋芸術の問題を論じるのだが、当時の彼は、一九二〇年代の文芸誌「同時代人」の現実逃避的な純粋芸術に批判的であった。といってもリベラのような「革命芸術」の立場からではない。ここにパスの独得な姿勢があり、この姿勢を彼はその後も一貫して保ち続けることになる。

本書の構成を概観しておこう。全体は五部に分けられ、第一部「不眠――ある夢想家の夢」、第二部「本と著者」、第三部「証言」、第四部「雑感」、第五部「付録」となっている。第一部では、世界から孤絶してしまった詩人の孤独、虚しさが詩を混じえて語られているが、ここにみられるテーマはやがて『孤独の迷宮』で本格的に論じられることになる。第二部の作家・作品論で目立つのは、書評の場合でも、かなり突っ込んだ論になっていることだ。彼が書評を大事にしていることは、現在主宰している雑誌「ブエルタ」の充実した書評欄を見ても分かるが、彼の書評のスタイルはこの時期にすでにできあがっていたのだ。第三部は詩論が中心になっていて、後の代表的詩論『弓と竪琴』の胚種はここにあったことが分かる。第四部のエッセーのテーマの多様性は後の『交流』などを想わせるが、ここにも『孤独の迷宮』の断片ともいうべき作品がいくつか見られる。

小説の場合、すべてのテーマ、モチーフは処女作の裡にあるとよく言われるが、パスの『初期散文集』にもその言葉が当てはまるといえるだろう。もちろんシュルレアリスムとの本格的出会いや東洋との出会いから得られた体験から新たな考察を行なうのはずっと後のことだが、基本的姿勢は決して変ってはいない。本書に収録されたもっとも新しい(彼の作品は時間の外にあるような気がする)作品は一九四三年十一月に発表されている。彼がメキシコと「決別」し、米国に留学するのは翌年のことである。本書を読むと、若き日の彼が、閉塞状況の中で考えていたことが伝わってくるが、彼にとってその閉塞状況は今もなお存在し続けているようだ。
Primeras Letras: / Paz, Octavio
Primeras Letras:
  • 著者:Paz, Octavio
  • 出版社:Planeta Pub Corp
  • 装丁:ペーパーバック(422ページ)
  • 発売日:1995-09-01
  • ISBN-10:8432205966
  • ISBN-13:978-8432205965

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ユリイカ 1989年9月号

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