「感性の歴史家」による検証
本書は「地球について人間が知らなかったこと」という小見出しで始まる。“感性の歴史家”として知られる著者は「人間が何を知らなかったのかを見極めなければ人間を知ることなど不可能である」と考え、対象を地球に絞ってそれを検証していく。1755年に起きたリスボンの「大惨事」(地震と津波)が一つの転換点となった。聖書にある<大洪水>のように神のなせる業とされていた自然災害が、分析の対象となったのだ。フランスの科学アカデミーはその年のうちに地震研究方針を打ち出し、アーカイブを構築した。ディドロは「世界を変えるのは神の意志ではなく物質に内在する運動である」と言った。地震は知識欲を刺激はしたのだが、19世紀に到る研究実績は評価できるものではない。『百科全書』や他の学術事典にも不確かな情報が並んでいる。地球の年齢、地球の内部構造、極地、深海、高山、氷河、火山、大気などの研究は非常に難しいものだったのだ。たとえば地球の年齢は、ボシュエが<大洪水>をもとに17世紀に出した約6000年に対して、ビュフォンが地球をガラス質の物体と捉え、当時の探検記録を踏まえた結果が11万763年だ。46億年という年齢を知っている今では、無知に近い値に見える。
現在は、1万メートルに及ぶ深海にさまざまな生物を見ることができるが、1773年に鉛のロープで到達した最高深度は1250メートル。18世紀初頭には、深海は極寒か灼熱かという議論がなされていたとある。
天気についても、18~19世紀には、サイクロン、台風、竜巻、濃霧など災害につながる荒天の原因や過程は分からず予測も難しかった。今もすべてが分かっているわけではないが、計測機器は非常に進歩した。農業など、天候と関わる長い体験から生まれた暦や諺(ことわざ)があり、体感や観察で対応していたが、科学による知識はほとんどない。雷雨は、科学的合理性と同時に宗教的かつ美学的な魅惑の間で揺れ動いていたことが、文学、絵画などから分かる。分からないものは、恐ろしくもあるが魅惑的でもあり、それを楽しむ気持ちはあるものなのだ。
19世紀には無知が少しずつ減少する。とくに氷河の研究が進み、古生物地層学が生まれて近代地質学へとつながった。もっとも、1815年にインドネシアのタンボラ山で起きた数日間の噴火による火山灰が成層圏に止まり、それが1818年まで影響するなどなぞは多い。火山から600キロの範囲が2日間暗闇となって飢饉が広がり、水が汚染され疫病が蔓延した。地球の動きは複雑で予測不能なことが多く、知識を積んでも、無知を思い知らされることが少なくない。しかも、知識は専門家のものになっていく。
無知という切り口で人間を知ろうという本書から学びたかったことは三つある。まず、異常気象など地球とどう向き合うかが重要になっている今、18世紀以来ヨーロッパを中心に生まれた近代文明を批判的且(か)つ建設的に評価するために知(実際には無知)の歴史を知ること。次に、かなり研究が進んだとされる今も、自分の無知に気づかなければならないこと。そして、無知の階層化の拡大という事実である。「自発的で楽しい会話が人々のあいだで交わされるためには、知識と無知が広く共有されていることが不可欠」という指摘を嚙みしめたい。