書評

『温泉旅行の近現代』(吉川弘文館)

  • 2024/03/10
温泉旅行の近現代 / 高柳 友彦
温泉旅行の近現代
  • 著者:高柳 友彦
  • 出版社:吉川弘文館
  • 装丁:単行本(240ページ)
  • 発売日:2023-11-21
  • ISBN-10:4642059822
  • ISBN-13:978-4642059824
内容紹介:
温泉旅行は、どのように今日のような身近なレジャーとして定着してきたのか。観光遊興と湯治療養の両面をふまえ、その歴史を辿る。旅行形態や費用感、交通・情報インフラなど、旅行をめぐる社会環境が変遷するなかでの温泉地側の対応にも言及。日本人の温泉愛とそれを支えた屋台骨に着目し、江戸から現代へ至るまでの温泉旅行の通史を描き出す。

大衆娯楽として文化的起源探る

海外ではいまや温泉が日本文化の顔になりつつある。これまで温泉町の歴史については多くの資料があるが、現在のような温泉文化がいつ出来上がったかについては、わかりやすい概説書はなかった。

本書は明治以降の時代を扱っており、大衆化する温泉の歴史に焦点がしぼられている。戦後の温泉形態に多くの筆墨が費やされているが、その前史として近世および幕末期についても簡略に紹介されている。

温泉利用の形態とその社会的意味は時代とともに変わる。近世では治療や療養がおもな目的で、移動を伴う温泉利用は大名や武士らにかぎられていた。明治時代に入ってからも温泉地に訪れた人には政財界人や官僚が多く、一般人による行楽のための入湯はまだほとんどない。日露戦争のときなど、戦時に傷病兵の湯治に充てられたこともあった。

第一次世界大戦以降、温泉旅行がようやく大衆化の端緒を見せた。鉄道会社は集客のため、遊園地と付設する入浴施設を造り、運賃の割引などで温泉地への旅行を誘致した。新しい業種として立ち上がった旅行会社は湯治の観光商品を企画し、繊維などの同業組織は温泉地への団体旅行を主催した。

経済学からの視点は温泉の商品的価値を知る上で大いに役立った。労働者平均給与額や世帯支出に占める旅行費の割合を見ると、一九三〇年代の都市部において、一般の市民が旅行を気軽に楽しむことはまだ難しかった。六〇年代前半になっても、約半数の世帯にとって、温泉旅館を利用した家族旅行にはなお無理がある。そのような時代に温泉入浴の簡易な設備を持つ遊園地が人気を呼んだのは安い価格設定と利用しやすさのためだ。

現在のような温泉の利用形態は七〇年代にさかのぼる。オイルショックの後、物価が騰貴したが、労働者の平均給与額はそれを上まわる上昇があった。人々の生活に余裕が生じ、教養や娯楽の支出は増えた。おりしも、乗用車が普及し、ドライブをしながら沿道の観光施設をめぐり、温泉地に宿泊するという利用形式が身近なものになった。秘湯ブームに見られるように、温泉の抽象的価値が発見されたのもその時代である。

八〇年代に入ると、温泉旅行の多様化がいっそう進み、高級志向の温泉旅館のほか、目的と経済力に応じて、割安な国民宿舎、国民休暇村や勤労福祉センターなどを利用することもできた。ここにいたって、本当の意味での温泉の大衆化がようやく実現した。

休暇の取得と過ごし方は労働のあり方や文化観念の違いによって大きく異なる。欧米では有給休暇の期間が長く、居住地から遠く離れたリゾート地や、自然が豊かなコテージで過ごすことは多い。フランスでは寒暖の違う地域の住民が邸宅を互いに貸し借りして、バカンスを楽しむのも珍しくない。

それに対し、日本ではリフレッシュ休暇を導入する企業がまだ少なく、長期休暇の取得日数は5日程度が大半を占めている。海の家やキャンプ地など、日帰りや短期滞在を想定した施設が多いのもそのためだ。その中でさまざまなニーズに応える温泉は有力な選択肢になった。入浴、料理、娯楽が三点セットとなった温泉旅行が多くの消費者に支持されたのはそうした休暇の制度と文化的な背景があった。
温泉旅行の近現代 / 高柳 友彦
温泉旅行の近現代
  • 著者:高柳 友彦
  • 出版社:吉川弘文館
  • 装丁:単行本(240ページ)
  • 発売日:2023-11-21
  • ISBN-10:4642059822
  • ISBN-13:978-4642059824
内容紹介:
温泉旅行は、どのように今日のような身近なレジャーとして定着してきたのか。観光遊興と湯治療養の両面をふまえ、その歴史を辿る。旅行形態や費用感、交通・情報インフラなど、旅行をめぐる社会環境が変遷するなかでの温泉地側の対応にも言及。日本人の温泉愛とそれを支えた屋台骨に着目し、江戸から現代へ至るまでの温泉旅行の通史を描き出す。

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2024年1月13日

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