書評

『意味の論理学』(法政大学出版局)

  • 2017/08/29
意味の論理学  / ジル・ドゥルーズ
意味の論理学
  • 著者:ジル・ドゥルーズ
  • 翻訳:岡田 弘,宇波 彰
  • 出版社:法政大学出版局
  • 装丁:単行本(453ページ)
  • ISBN-10:4588002198
  • ISBN-13:978-4588002199
内容紹介:
ルイス・キャロルの文学世界を,新たに言語表現の世界つまり《表層の世界》として捉え,、その存在の様態を明らかにした60年代ドゥルーズ思想の頂点を成す論考。

ここまできてわたしたちは、はじめて著者ドゥルーズが意図している通りに、意味の論理学をたどれることになる。ドゥルーズはしだいにフッサールの意味概念に異を立てながら、意味が発現する瞬間の位置を決定しようとする。これは何でもないようで、とても重要なことだ。ドゥルーズによれば、わたしたちが何かを指示しようとしたり、命題について語りはじめようとしたりする瞬間には、もう意味はわたしたちの内部で理解されたり、あらかじめ想定されたりして、すでにそこにあるものだと見倣される。ベルグソンがいうように音から映像へ、映像から意味へと移行するのではなく、一挙に意味のなかに身をおくというのが、意味発現の在り方だということになる。そしてこの意味発現の瞬時に、意味は、事物と命題、実詞と動詞(主体と述語)、指示作用と表現とが対立する境界線のところで、それを切断したり、分節したりして、差異を作るものを指している。

意味がどんな条件のところで発現しやすいかについて、ドゥルーズは興味深い場面をふたつ指摘している。ひとつは構造が考えられる場所だ。このばあいの構造は、命題がモチーフによって集合をつくっている表層の場所と受け取ってよいのかもしれない。また事物がひとつの系列をつくっている個所かもしれない。ドゥルーズ的な言い方をすれば「構造は非物体的な意味を生産する機械」なのだ。もうひとつ意味が発現しやすい現場がある。それはナンセンスがいつも移動している表層の個所だ。このばあいナンセンスというのは無意味ということではなく、自体を欠如しているものとしてのナンセンスが、その欠如によって過剰な生産を行っているものを指している。

いいかえれば意味付与にほかならない。このようにナンセンスは、意味の不在と対立しながら過剰を生産しており、それは意味として発現されることになる。

ドゥルーズのこの本はどんな本だといえばいいのだろう。わたしには古典近代期の哲学概念を使い直して、フッサールの意味概念を改訂しようとしたものだとおもえる。ある側面では文学作品といっていいほど意味概念の緻密化が行われているし、別の側面からは、フッサールよりもはるかに古典的な概念に意味がおき代えられている気がする。キャロルの『不思議の国のアリス』や『鏡の国のアリス』は、キャロルの変形の病的な任意性、出たとこまかせの空虚さを覗かせた奇妙な童話作品だ。が、ドゥルーズは、この奇妙さを見事に哲学の概念におきかえている。存在の表層に循環する空孔に意味の発生現場をみようとするドゥルーズの意味論の運びを微細にするのに、キャロルの作品は、たくさんの示唆を与えているようにみえる。表層以外に作品の場所を設定しなかった作者キャロルの、心理の深層については、『口唇性について』が優れた解析をやっているとおもえる。

なぜそんなにも意味なのか? ひとつにはソシュールの意味概念があまりに古典的で単純だからだ。それからまだある。ドゥルーズによれば、本質という概念が現在では衰弱し、アルトーのような表層が崩れてしまって、臓器をむき出しにしなければ集体=言語を行使できなくなってしまった思想でなければ、深刻が足りない、本質がないなどと喰いつくものもいなくなってしまった現在という時代に、意味と存在の表層の場面だけが、本質に取って代りうるものだと主張したかったからだ。古典近代期の哲学者たちの頭脳に宿った観念によれば、理性を行使するものとしての「神と人間」とは、かつては、意味を生産し、その意味を光あるものにしうる存在だった。ドゥルーズの言葉では「神と人間」のコンビは、存在の表層を測量する機械仕掛けであり、すくなくとも近代の開明をひらくものでありえた。いまはどうなのか。すでに「神と人間」は、もうそれほどの力をもちえなくなっているとしかおもわれない。意味をつくり出し、つくり出すことが新しい機械装置をつくり出すことでもあるような手段は、どうやれば手に入れることができるのか。意味の論理学は、べつにそれを問いただし、解答を与えることなど要らないはずなのに、ドゥルーズはそれを問いにだし、またそれに答えようとしている。

ほんとうはこの本はかなり愉しい本なはずだ。いくつかの個所では古典近代期の哲学的な範疇からも、切実で息苦しい意味の存在理由からも解放されて、文体の密度とモチーフの大きさとが、ぴったりと重なって快く流れてゆくのに遭遇する。そういう個所では、この本の著者は偉大だなとおもったりする。

だがドゥルーズは一種の使命感で、新しい機械装置をこしらえて新しい意味を生産しなくてはならないと説く。存在の表層にはチェスの空いた目のような空孔があり、古典近代期の「人間」が夢みたこともないし、「神」が構想したことがないような循環や反響や「できごと」が、現在そこを貫通している。そこに循環作用を起こさせること。要するにその空孔から「人間」のものでもなく、「神」のものでもないような意味を生産させること。ドゥルーズは、それが現在ということであり、現在の仕事だと語りかけている。

【新版】
意味の論理学〈上〉  / ジル・ドゥルーズ
意味の論理学〈上〉
  • 著者:ジル・ドゥルーズ
  • 翻訳:小泉 義之
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:文庫(307ページ)
  • 発売日:2007-01-06
  • ISBN-10:4309462855
  • ISBN-13:978-4309462851
内容紹介:
ルイス・キャロルからストア派へ、パラドックスの考察にはじまり、意味と無意味、表面と深層、アイオーンとクロノス、そして「出来事」とはなにかを問うかつてなかった哲学。『差異と反復』から『アンチ・オイディプス』への飛躍を画し、核心的主題にあふれたドゥルーズの代表作を、気鋭の哲学者が新訳。

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【この書評が収録されている書籍】
言葉の沃野へ―書評集成〈下〉海外篇  / 吉本 隆明
言葉の沃野へ―書評集成〈下〉海外篇
  • 著者:吉本 隆明
  • 出版社:中央公論社
  • 装丁:文庫(273ページ)
  • ISBN-10:4122025990
  • ISBN-13:978-4122025998

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意味の論理学  / ジル・ドゥルーズ
意味の論理学
  • 著者:ジル・ドゥルーズ
  • 翻訳:岡田 弘,宇波 彰
  • 出版社:法政大学出版局
  • 装丁:単行本(453ページ)
  • ISBN-10:4588002198
  • ISBN-13:978-4588002199
内容紹介:
ルイス・キャロルの文学世界を,新たに言語表現の世界つまり《表層の世界》として捉え,、その存在の様態を明らかにした60年代ドゥルーズ思想の頂点を成す論考。

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初出メディア

マリ・クレール

マリ・クレール 1988年2月

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