書評
『折口信夫伝』(筑摩書房)
古代を追い、神道再生を目指す
日本民俗学を偉大な学問たらしめた折口信夫。柳田国男の蔭にかくれがちな実像を、晩年の足かけ七年を身近に過ごした岡野弘彦氏がまとめた浩瀚(こうかん)な伝記である。折口は大阪の篤信の浄土真宗の家に生まれ、天王寺中学に進む。家庭の事情で≪少年期から青年期にかけて…痛々しいほどの自虐的な苦悩≫を抱えて過ごす。後年何人かの弟子とは≪世間では常識的なホモセクシュアリティの関係≫と考えられる間柄となった。孤独な想像力を膨らませ、≪天才的な古代への遡源(そげん)力や復元力に基づく学問≫を独創していく。歌人・釈迢空としてもアララギ派の流れをくみ、生涯和歌を詠み続けた。
最初の仕事は『口訳万葉集』。万葉集の歌を一首ずつ、咀嚼し口語に直していく。心性を古代と同調させないとできない仕事だ。
「妣(はは)が国へ・常世(とこよ)へ」では、海の彼方の異界に想いを馳せる。折口の旅は柳田によると、≪聴いても身が縮むやうなつらい寂しい難行の連続であつた≫。熊野の大王崎の突端に立ち、海原の涯に魂のふるさとがあると感得した。
神は本来「まれびと」だと喝破した。祖霊とみる柳田とも、国家神道の定説とも異なる。異人が共同体の外からやって来る。客人だが、脅威でもある。折口は、高天ケ原より出雲の神々、ことに孤独なスサノヲに共感する。古代の心性は文学でなければ捉えられないと、大津皇子の死霊をめぐる小説『死者の書』を著す。国文学の発生を終生のテーマとした。
≪三十代から四十代にかけての数年間、コカインを≫用いた。精神を集中させ論文を書くためだ。同居していた弟子の藤井春洋らが力ずくでやめさせた。
昭和十六年十二月八日に詠んだ歌はこうだ。「大君は 神といまして、神ながら思ほしなげくことの かしこさ」。開戦時によく詠まれた歌と違い、折口は天皇を「みこともち」(つまり人間)だとみる。≪人でありながら神の代役を演じなければならぬ天皇の重い苦しみを思っている≫のだ。
最愛の弟子・春洋が硫黄島に出征することになった。柳田国男を保証人に、養子とした。「きさらぎのはつかの空の 月ふかし。まだ生きて子はたゝかふらむか」。やがて硫黄島玉砕の報が届く。
昭和二十年七月、戦意高揚の会合で折口は軍人に食ってかかる。≪伊勢の外宮が炎上し…御所にまで爆弾が落ちた。…国体が破壊されたのと同じだと思います。…宸襟(しんきん)ヲイカニセムといいながら、宸襟を逆にないがしろにする≫のが軍人ではないのか。大変な剣幕だ。そして敗戦。「につぽんのくに たゝかひまけて ほろびむとす すめらみこと、そらにむかひて、のりたまふ ことのかなしさ。」
戦後の折口は「神道の宗教化」を目指した。日本の伝統は本来、双方の戦死者を祭る。だが靖国神社は≪西南の役の薩摩の死者も、明治維新のときの会津の死者も祭らなかった≫。国家神道は間違っていた。だから負けた。今こそ正しい神道を再生させよう。
柳田とまま意見が相違したが、折口は終生、手を携えて新国学の完成を目指した。墓石には「もつとも苦しき たゝかひに 最くるしみ 死にたる むかしの陸軍中尉 折口春洋 ならびにその父 信夫の墓」と刻まれている。この伝記が文庫になった。喜びたい。