後書き
『ロリータ』(新潮社)
訳稿を作成する段階では、第一稿を中田晶子、皆尾麻弥、秋草俊一郎の三氏に点検をお願いし、数多かった誤訳などを指摘していただいた。ふだんからナボコフを一緒に読んでいる仲間であるこの三氏の協力がなければ、一応の完成までにこぎつけることは到底不可能だった。ここで深く感謝したい。
本来なら二年かかっても二〇年かかってもできなかったかもしれない翻訳を、幸いにも実質二カ月で終わらせることができたが、そのあいだは苦労の連続だった。日本語には絶対に翻訳不可能な部分にぶつかって泣かされたこともある。とにかく、『ロリータ』がこんなに難しい小説だとは、思ってもみなかったのである。過去には少なくとも五回以上は通読していたはずなのに、実際にいざ翻訳しようとしてみたら、わからないところだらけだった。そしてそのときに翻訳者として実感したのは、『ロリータ』はとんでもなく凄い大傑作だということだ。これは文句なくナボコフの代表作なのだ。それをつくづく思い知る機会を与えていただいた、新潮社の北本壮氏に感謝したい。
そして本書は、今風の言葉として何を使えばいいか知恵を授けてくれた、ちょうどロリータと同じ年頃の我が娘、若島◯◯◯(事務局注:若島正さんの許可をいただき、伏せ字にしました)に献げられる。
最後に、もうー言だけ(『ロリータ』について語り出せば、いくらでも言いたいことが出てきて、止まらない)。ハンバートは、彼の手記を、ロリータの死後に出版してほしいと言い残す。そして彼は、ロリータが長生きしたとして、「出版された形で本書が読まれるのは、おそらく紀元二〇〇〇年の初頭だろう」と書き記している。
それでは、手記が書き終えられてから、ロリータの運命はどうなったのか。それが気になる読者は、ぜひもう一度最初から再読してみていただきたい。それを知るだけでも、本書は再読する価値がある。そして、ロリータの運命を知ったときに、読者は虚構世界の時間と現実世界の時間が絶妙に接続されていることを知って驚くだろう。
しかし、わたしが言いたいのはそれだけではない。ハンバートが頭の中で想定している読者は、実は二〇〇五年の読者、すなわち本書を今手にしているあなたなのである。不思議なめぐりあわせではないだろうか。
わたしは想像する。ナボコフがそう書いたのは、おそらく『ロリータ』という書物が五〇年後にも生き延び、そしてそのときに出会う読者によって、スキャンダラスな書物というだけではなく初めて本当の姿を発見されるはずだという、祈りにも似た自信があったからではないか。つまり、ナボコフが想定した理想の読者はあなたなのだ。
二〇〇五年のロリータが、二〇〇五年の新しい読者に出会う。『ロリータ』が読まれるべき瞬間は、今だ。
二〇〇五年一〇月八日
若島正
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