1945年和歌山県生まれ。1990年「村の名前」で芥川龍之介賞、1999年『翔べ麒麟』で読売文学賞、2000年『遊動亭円木』で谷崎潤一郎賞、2005年『枯葉の中の青い炎』で川端康成文学賞、2011年『闇の奥』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。地の作品に『許されざる者』、『韃靼の馬』、『冬の旅』、『寂しい丘で狩りをする』など。もっと読む
- 『バラと痛恨の日々―有馬稲子自伝』(中央公論社)辻原 登
女優のなかの女優オナラをしたんです、プロポーズのときに彼は……、それを好もしく思ってプロポーズを受けた、と中村錦之助との婚約を発表した記者会…
書評 - 『中間航路』(早川書房)辻原 登
超弩級の興奮と快楽チャールズ・ジョンソンというアメリカの作家がいる。この人の『中間航路』(原題“Middle Passage”)という小説がどんなにすごい…
書評 - 『キプリング短篇集』(岩波書店)辻原 登
キプリングという作家第一次大戦前のロンドン。ある出版社が若手作家を集めて安手の物語(ロマン)を書かせ、大量消費時代にひと儲け企む。集まった…
書評 - 『死にいたる芳香』(早川書房)辻原 登
天使の取り分ワインを樽で熟成できるのは最大限二年、あとはビンに移してねかせる。ワインから蒸溜したコニャックは樽のなかでしか熟成しない。樽材…
書評 - 『あすなろ物語』(新潮社)辻原 登
花柳小説の変種わが日本文学に花柳小説というジャンルがあった。井原西鶴、為永春水あたりにはじまり、紅葉、荷風、鏡花、舟橋聖一に及ぶ一大系列だ…
書評 - 『初恋、その他の悲しみ』(東京書籍)辻原 登
少年の悲しみと歓び本など書かずに、ただ読書三昧で暮らせたらどんなにいいだろうと思うことがあって、アルゼンチンの作家ボルヘスもどこかで似たよ…
書評 - 『蓼喰う虫』(新潮社)辻原 登
「永遠女性」のおもかげ「大谷崎」という。おそらく「大」の字を付けて呼ばれる作家は谷崎潤一郎を措いて他にない。ロシアに大トルストイ、フランス…
書評 - 『免疫の意味論』(青土社)辻原 登
善なる「王国」の崩壊数学者や物理学者は大変なんだそうな。一プラス一は千年先も二であり、積み重なった真理は消え去ることがない。この先息苦しく…
書評 - 『人喰い鬼のお愉しみ』(白水社)辻原 登
パリにあるそのデパートには「お客様ご要望コーナー」なるガラス張りのブースが設けられていて、苦情を持ちこむ買物客はそこに案内される。その女性…
書評 - 『グレアム・グリーン全集〈13〉二十一の短篇 所収「無邪気」』(早川書房)辻原 登
坂道の記憶O-157が猛威をふるった。この騒ぎでひとつ意外なことがわかった。学校給食というのが一大産業だということだ。従事する者十万人。わが国…
書評 - 『シューレス・ジョー』(文藝春秋)辻原 登
嘘だといってよ、ジョー笑っちゃいけない。キャッチボールほど神秘的な交流はほかにないんだ。キャッチボールをやった思い出は消えることがない。相…
書評 - 『錦繍』(新潮社)辻原 登
優雅な坂道のような書簡体小説この八月から九月末にかけて、中国の西安を根城にして黄河流域やウルムチ、トルファンなどの西域地方を旅してきた。旅…
書評 - 『駅前旅館』(新潮社)辻原 登
腰のすわった語り世の中の動きがこう激しいと、小説はそれこそ出たとたんに古くなってしまう。で、書くほうとしては危機感をつのらせて人並みにあく…
書評 - 『O嬢の物語』(河出書房新社)辻原 登
神のもとのポルノ小説卑下、という言葉について考える。中国語では自卑(ツーペイ)、英語では belittle、と書く。自らを軽蔑し、卑しめ、鞭打ち、…
書評 - 『陶庵夢憶』(岩波書店)辻原 登
隠遁が生みだした文章今どきはやらない言葉に「隠遁」がある。言葉がすたれるのは、その中身がからっぽになったからだ。「隠遁」はもちろん中国から…
書評 - 『針の眼』(東京創元社)辻原 登
歴史の「イフ」が牙をむくケン・フォレット『針の眼』の新訳が出た。十年ばかり前、ハヤカワ文庫(鷺村達也訳)でよんだときのおもしろさは忘れ難い…
書評 - 『小泉八雲集』(新潮社)辻原 登
きっともう一度会えるラフカディオ・ハーンは一八五〇年ギリシャのサンタ・モウラ島に生まれ、一九〇四年東京都新宿区市ヶ谷富久町で小泉八雲として…
書評 - 『玄鳥』(文藝春秋)辻原 登
二度と帰らない「むかし」藤沢周平の短篇「玄鳥」を読む。路(みち)という若い武家の奥方がいる。兄が夭逝して、彼女が婿をとった。この婿が武士官…
書評 - 『舞姫』(新潮社)辻原 登
みんな少しずつ悲しい人間わざとは思えない跳躍で世界を驚かせながら、動乱の世に処することができずに狂死した天才バレエ・ダンサー、ニジンスキー…
書評 - 『オーソン・ウェルズ偽自伝』(文藝春秋)辻原 登
女優と暮らす夢一人の映画狂の少年がいて、生まれ育った地方都市にあった五つの映画館に昭和二十五年ごろから三十四年にかけて、掛かったすべての映…
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